
世界的な成功を収める現在のTurnstileからは想像しにくいかもしれないが、その始まりには、両親の家の地下室、子供の頃にもらったドラムセット、MySpaceを通じて決まった小さなライブ、そして父親が運転するバンで機材を運んだ日々があった。
TurnstileのBrendan YatesがIdentifiedのインタビューに登場し、自身の家族、幼少期に音楽へ興味を持ったきっかけ、初めて組んだバンド、Trapped Under Iceで経験したツアー、そしてTurnstileの初期について振り返っている。
インタビューの大きなテーマになっているのは「家族」だ。血のつながった家族から受けた影響だけでなく、長い時間をともに過ごすバンドもまた、Brendanにとって家族に近い存在だという。彼はバンドについて「5人で築く親密な関係」のようなものだと表現し、ツアー、成功、失敗、喪失まで共有する特殊な共同体について語っている。
音楽に囲まれて育ったBrendan Yates
Brendan Yatesには、姉、兄、妹の3人のきょうだいがいる。その中でも音楽との出会いに大きな影響を与えた人物の一人が姉だった。
Brendanが幼かった1990年代初頭、姉はミックステープを作ってくれたり、ボルチモア周辺のスケーターやバンドで活動する人々とBrendanをつないだりしていた。当時Brendan自身もスケートボードに夢中になっており、姉を通じて音楽と地元のカルチャーへ自然に触れていったという。
両親も家庭で音楽を流していたが、さらに直接的な音楽体験を与えたのが母方の祖父だった。祖父はピアノを弾き、多くのジャズ・レコードを所有していた。幼いBrendanは祖父の家に行くとピアノを叩いて遊びたがり、祖父がきちんと弾き方を見せようとしても、まだ子供だった彼は自由に音を鳴らすことの方に夢中だった。後に祖父のジャズ・レコード・コレクションはBrendanへ譲られている。振り返れば、祖父との時間は彼にとって誰かから音楽を教えてもらった最初期の経験の一つだったという。
ただし、Brendanが最初に本格的に夢中になった楽器はピアノではなくドラムだった。
10歳頃にもらったドラムセットがすべての始まりに
8歳か9歳頃にはすでにドラムへの強い興味を持ち、自分のドラムセットを欲しがるようになった。両親は、本当に続けるのかを確認するため、最初から本格的なセットを買い与えることには慎重だったという。その後、父親の親友が楽器店で働いていたこともあり、10歳頃に念願のドラムセットを手に入れる。
Brendanにとって、それは非常に大きな出来事だった。自分だけの楽器を手に入れ、好きなだけ向き合えるようになったからだ。クリスマスにもらったドラムセットを地下室に設置すると、その日の夜から何時間も演奏を続けた。あまりの音量に両親から休むよう言われたときには、世界が終わるような気持ちになったほど夢中だったという。その地下室は、やがてBrendanの音楽人生における重要な場所になっていく。
近所の友人たちとバンドを組むようになると、ギターアンプなどを持ち込み、地下室で練習を繰り返した。両親は大きな音にも耐えながら、友人たちが集まってバンドを練習できる場所を提供し続けた。Brendanは大人になった現在になって、それがどれほど大きな支援だったのかを実感しているという。
父親のバンで向かった、小さなライブ
家族のサポートは練習場所だけではなかった。
Brendanが地元でバンド活動を始めると、父親は彼らをライブへ連れていく役割も担った。観客がわずか2人しかいないようなペンシルベニアでの小さな公演にも、父親はバンへドラム、アンプ、その他の機材を積み込み、メンバー全員を乗せて会場まで運転した。
ライブが終われば再び機材を積み、家まで連れて帰る。
当時のBrendanたちには、本格的なツアーの仕組みも、ブッキングについての知識もなかった。MySpaceなどを通じて「このライブに出ないか」と連絡が届けば、それを両親に伝え、父親に会場まで連れていってもらう。そのような形で少しずつライブ活動の範囲を広げていった。
楽器を買い与えるだけでなく、時間を使い、機材を運び、遠くのライブまで送り届ける。Brendanの初期の音楽活動が続いた背景には、家族による非常に大きな支えがあった。
そして、その地下室は後にTurnstileの歴史にも直接つながっていく。
Turnstile初期の7インチも両親の地下室で録音
Brendanによれば、Turnstile初期の7インチ作品のいくつかは、彼が子供の頃からドラムを叩いていた両親の家の地下室でレコーディングされた。近所に住んでいた友人が録音方法を覚え、機材を地下室へ持ち込んで、自分たちで試行錯誤しながら作品を作っていったという。
現在のTurnstileは巨大なフェスティバルや会場に出演するバンドとなったが、その音楽の初期段階には、大きなスタジオや充実した制作環境があったわけではない。子供の頃から使っていた地下室に仲間が集まり、手元にある機材を利用して自分たちで録音するところから始まっていた。
Brendanが幼い頃から自由にドラムを演奏できた場所が、そのままTurnstile初期の作品を生み出す場所にもなったことになる。
Trapped Under Iceで初めて本格的なツアーを経験
Turnstile以前、BrendanはTrapped Under Iceでドラムを担当していた。
彼にとってTrapped Under Iceは、初めて本格的なツアーを経験したバンドだった。学校を途中で離れ、本格的にバンド活動へ踏み出すことになったのもこの時期だったという。
メンバーは友人であると同時に、Brendanより少し年上で、彼がライブへ通い始めた頃から憧れていた存在でもあった。その仲間たちがBrendanをバンドへ迎え、世界各地のツアーへ連れ出していった。
それまでのBrendanにとって「ツアー」といえば、父親の車で近隣の州へライブをしに行ったり、自分たちが運転免許を取得してから東海岸を移動したりする程度だった。地元ではコミュニティセンターやVFWホールなどでライブを行っていたが、Trapped Under Iceへの加入によって、その世界は一気に広がった。
自分が育った地域の外へ出て、世界各地を巡る。Brendanは、それによって人生そのものに対する見え方が変わったと振り返っている。
その経験を経て、2010年末頃にTurnstileが始動。最初のライブは2011年頃だったとBrendanは語っている。
「バンドは5人で築く親密な関係のようなもの」
インタビュー後半では、長期間バンドを続けることそのものについて話が広がっていく。
Brendanは「バンドには家族的な要素があるか」と尋ねられると強く同意し、バンドに所属することを「5人で築くロマンティックで親密な関係のようなもの」と表現している。
一般的な仕事とは違い、バンドメンバーは勤務時間だけ一緒にいるわけではない。ライブが終わっても同じバンへ乗り込み、長距離を移動し、同じ場所で眠り、翌日にはまた同じステージへ向かう。
特に活動初期には経済的な余裕もない。Turnstileがツアーを始めた頃もホテルを取ることはほとんどなく、一晩中運転するか、ライブ関係者や友人の家に泊まり、床で眠るような生活を続けていた。ホテルへ泊まれるようになってからも、一部屋だけを取り、メンバーが怪しまれないよう別々に入室し、全員で眠ることもあったという。
一人になれる時間はほとんどない。Brendanは冗談を交えながら、トイレにいるときですら他のメンバーが歯を磨くために入ってくるような生活だったと話している。
だからこそ、バンドでは自分自身よりも集団全体を優先しなければならない瞬間が生まれる。
バンドを続けるためには「犠牲」と「努力」が必要
長時間をともに過ごせば、関係が完璧になるわけではない。
むしろBrendanは、バンドの人間関係は「常に不完全」だと考えている。性格も状況も異なる人間が一つの共同体として活動する以上、関係を維持するためには仕事が必要であり、時には犠牲も必要になる。
必ず誰かが間違える。コミュニケーションがうまくいかないこともある。
重要なのは、問題を完全になくすことではなく、その関係を維持しようとする努力を続けることだという。誰かがコミュニケーションを失敗すること自体は避けられなくても、「理解しようとする努力」そのものを放棄した瞬間に関係は崩れ始める。
その感覚は、Brendanにとって血のつながった家族にも近い。
長期間連絡を取らなかったとしても、家族には簡単には消えないつながりがある。バンドも、長い時間や特殊な経験を共有することで、それに似た結びつきを持つようになると考えている。
成功だけでなく、喪失も一緒に経験する
30代になったBrendanは、年齢を重ねるにつれて人生の脆さを実感する場面が増えたという。
友人や家族を失うこと。死だけではなく、人生の変化によって大切だった人物と離れていくこと。それらを一人だけで処理するのは非常に難しい。そこで重要になるのが家族やコミュニティの存在だとBrendanは話す。
長く活動してきたバンドでは、成功やツアーだけを共有するわけではない。それぞれのメンバーが個人的な問題を抱えながら、ときにはバンド全体として問題に直面し、誰かの悲しみや喪失を全員で経験することもある。
メンバーは一つのチームでありながら、それぞれが独立した一人の人間でもある。その複雑な関係を維持するには、やはりコミュニケーションを続ける必要がある。
Brendanは、自分が現在存在している人間関係に感謝していると話す一方で、過去にはうまく機能しない人間関係も多く見てきたという。その経験があるからこそ、家族でもバンドでも友情でも、完璧さではなく「関係を維持しようとする意志」が重要なのだと考えている。
Brendan Yatesにとって「家族」とは何か
インタビューの最後に「あなたにとって家族とは何か」と尋ねられたBrendanは、自分を無理に演出する必要のない場所だと答えている。
何も話さず、完全な沈黙の中にいてもいい。誰かに見せるための自分を作らず、そのままの状態で存在できる。そして、それでも歓迎され、理解されていると感じられる場所。
10代の頃、コミュニケーションが難しく、世界の重さを強く感じていた時期でも、家族の集まりへ行けば何も話さずにそこにいることができた。機嫌が悪くても、誰かが大騒ぎするわけではなく、自然に食事が用意され、そこに存在することを許されていた。
Brendanにとって家族とは、そのような安心できる場所であると同時に、一方的に受け入れてもらうだけの関係でもない。自分も相手のためにそこにいる必要があり、時には自分のことを優先せず、難しい状況でも支える必要がある。
そして家族は、必ずしも血縁によって決まるものでもない。
出会ってわずか数日で、生涯続くような強い結びつきを感じる人物もいる。一方、永遠にそばにいると思っていた人物と、人生の流れによって離れていくこともある。
時間の長さだけで親密さが決まるわけではない。
それでも人生の周囲には、自分が安心して戻ることのできる「ホームベース」のような人々が存在する。間違えることを恐れず、自分の気持ちを話すことができ、そのままの自分でいることを許される場所。それがBrendan Yatesにとっての「家族」なのだという。
Turnstileの原点にあったもの
このインタビューから見えてくるTurnstileの原点は、一つの劇的な出来事ではない。
姉から渡されたミックステープ。祖父のピアノとジャズ・レコード。10歳頃にもらったドラムセット。友人たちと音を鳴らした地下室。観客がほとんどいないライブにも機材を積んで連れていってくれた父親。MySpaceを通じて届いたライブの誘い。そしてTrapped Under Iceで経験した初めての本格的なツアー。
そうした小さな経験が積み重なった先にTurnstileがある。
特に象徴的なのは、Turnstile初期の作品が、Brendanが子供の頃から音楽を続けてきた両親の家の地下室で録音されていたことだろう。
現在の規模だけを見れば、Turnstileは現代のロック/ハードコアを代表する世界的なバンドの一つとして映る。しかし、その根底にあるのは、仲間と集まり、自分たちで音を出し、自分たちで録音し、ライブのできる場所を探して動き続けたDIYな音楽体験だった。
そしてBrendanが長いバンド生活を経て語る「家族」という考え方も、その原点と無関係ではない。
バンドは完璧な関係ではない。長く続けるためには犠牲も必要であり、誰かが間違え、コミュニケーションが失敗することもある。それでも、互いに関係を維持しようとする。
Turnstileの始まりを振り返るこのインタビューは、バンドがどのように結成されたのかという歴史だけでなく、Brendan Yatesという人物が音楽を続けてきた背景にある家族、コミュニティ、そして人とのつながりまでを映し出している。
参照元動画
「Turnstile’s Brendan Yates on the Origins of the Band」