ShiningのNiklas Kvarforthはなぜ自らの「死亡説」まで利用したのか? DSBMを代表するバンド、その音楽と異常な2007年の復活劇

ブラックメタルの歴史には、音楽そのものと同じくらい強烈な逸話を残した人物が少なくない。その中でも、スウェーデンのShiningを率いるNiklas Kvarforthはかなり特殊な存在だ。

12歳でバンドを始め、10代のうちから作品を発表。Shiningは後にDepressive Suicidal Black Metal、いわゆるDSBMを語るうえで避けて通れないバンドの一つとなった。しかしKvarforthが注目を集めてきた理由は音楽だけではない。自己破壊的な思想を前面に出した歌詞や発言、危険性を伴うライブ・パフォーマンス、極端な言動によって、ブラックメタルの中でも特に物議を醸す人物として知られるようになった。

そして2006年、そのキャリアでも最も異様な事件が起こる。

Kvarforthが突然消息を絶ち、バンド側は「死亡した可能性がある」と発表。さらに本人が残した意向として、正体不明の新ボーカリスト“Ghoul”の加入まで告知された。しかし翌2007年、スウェーデン・ハルムスタッドで行われたライブへ現れたGhoulの正体は、ほかでもないKvarforth本人だった。

YouTube動画「He Faked His Own Death」は、この奇妙な死亡説を入り口に、Shiningがどのように形成され、音楽的に発展し、その過程でKvarforthの人物像とバンドの表現がどこまで一体化していったのかを追っている。

 

12歳で始まったShining、初期DSBMから独自の音楽へ

Niklas Kvarforthは1983年12月7日、スウェーデンのハルムスタッドに生まれた。幼い頃からGuns N’ RosesやMetallicaなどへ触れ、その後ブラックメタルへ興味を広げ、1996年、わずか12歳でShiningを始動する。1998年には最初のEP『Submit to Self-Destruction』を発表。当時Kvarforthはまだ14歳で、この作品ではギターとベースを担当していた。

2000年の1stアルバム『I – Within Deep Dark Chambers』から自身がボーカルも担当し、Shiningは暗く沈み込むようなブラックメタルを本格的に展開していく。初期作品では反復性の強いリフや重苦しいテンポを軸としていたが、作品を重ねるにつれて単純な「暗さ」だけではない方向へ進んだ。

特に2005年の『IV – The Eerie Cold』では、アコースティック・ギター、テンポチェンジ、ギターソロ、より複雑な構成を積極的に導入。プログレッシブな要素をブラックメタルへ取り込み、Shining独自の音楽像を確立していく。MayhemのHellhammerことJan Axel Blombergが『III – Angst, Självdestruktivitetens Emissarie』と『IV – The Eerie Cold』に参加したことも、この時期の演奏面を大きく押し上げた要素だった。

その流れが一つの頂点へ達したのが、2007年の5thアルバム『V – Halmstad』だ。

動画では、この作品をShiningにとって最も重要なアルバムの一つとして位置付けている。初期から続いていた沈鬱なブラックメタルを基盤にしながら、アコースティックなパート、クラシカルな要素、メロディ、ギターソロ、テンポの大きな変化までを組み込み、単なる反復的なDSBMとは異なる作品へ発展した。

ShiningはDSBMそのものを最初に作ったバンドではない。しかし動画の投稿者が指摘するように、『Halmstad』前後の活動によってこのスタイルを2000年代後半以降のリスナーへ広く知らしめたことは、バンドの大きな功績といえる。Shiningが後続に残した影響は、単なる陰鬱な音像ではなく、そこへプログレッシブ・メタルやクラシック、ロック的なギター表現まで持ち込めることを示した点にもある。

 

音楽と人物像が切り離せなくなっていった2000年代

一方、Shiningを語るうえで難しいのは、Kvarforthの人物像と音楽を完全に切り離すことができない点だ。

本人はこれまでのインタビューで、幼少期からの精神的な苦痛や長期にわたる不調について公に語ってきた。Shiningの歌詞やコンセプトにも自己破壊、孤立、絶望といった主題が強く反映され、それは単なるホラー的なフィクションではなく、Kvarforth本人の感情や思想と密接につながっているものとして提示されてきた。

しかし2000年代中盤になると、その姿勢は音源だけに収まらなくなる。ライブでも自傷を伴う過激なパフォーマンスや観客との衝突が報告されるようになり、Shiningの公演そのものが危険なイベントとして語られることも増えていった。動画では、当時のスウェーデンのメディアでもこうしたライブについて取り上げられたと説明している。

 

ここはShiningを評価するときに慎重に考える必要がある部分だろう。

極端な感情を音楽へ転換することと、現実の危険な行為を肯定することは同じではない。動画の投稿者自身も、Kvarforthの表現を単純に「苦悩する芸術家」として美化することには距離を置いている。本人の苦痛から非常に強い作品が生まれたとしても、その周囲で起きたすべての行動まで芸術として肯定する必要はない。

それでもShiningの音楽が評価され続けているのは、過激さだけでは説明できない。作品を重ねるにつれてリフや構成の幅を広げ、DSBMの感情的な重さを保ちながら、よりダイナミックなエクストリーム・メタルへ発展させてきた。ショック性を取り除いても、楽曲そのものに明確な個性が残る。それがShiningと、単なるセンセーショナルな存在との大きな違いでもある。

 

2006年の失踪と「新ボーカルGhoul」

そんなShiningのイメージを決定的なものにしたのが、2006年から2007年にかけて起こった一連の出来事だった。

2006年夏、Kvarforthが消息を絶つ。

8月23日、Shining側は公式声明を発表し、Kvarforthと約4週間連絡が取れていないこと、彼が死亡した可能性も否定できないことを明らかにした。さらに、本人に近い人物から届いたという手紙によって、Kvarforthが自身の後任として“Ghoul”という新しいボーカリストを指定していたことも発表された。

当時の声明では、バンドのメンバー自身もGhoulには会ったことがなく、手紙を通じて連絡を取っているだけだと説明されていた。

Kvarforthが本当に死亡したのか。

単に行方をくらませているのか。

そしてGhoulとは誰なのか。

しばらくの間、その状態が続いた。

そして2007年2月3日、Shiningは地元ハルムスタッドのDiezelでライブを開催する。この日は新ボーカリストGhoulが初めて公の場へ姿を現すライブとして告知されていた。

しかし、ステージに現れた人物の正体はKvarforth自身だった。

動画では、この流れを「Kvarforthが自分の死を偽装した」と表現している。少なくとも結果だけ見れば、長期間の失踪、死亡説、謎の後任ボーカリストという物語が作られ、その最後にKvarforth本人が戻ってくるという極端な演出になった。

ただし、当時のバンド声明が最初からどこまで計画された演出だったのか、それぞれのメンバーがどの時点で何を知っていたのかについては、後年の記事によっても細部が曖昧な部分が残る。そのため「全員が最初から死亡を偽装する計画に参加していた」とまで断定するより、ShiningがKvarforthの死亡説とGhoulという存在を最終的に巨大な復活劇へ転換したと見る方が正確だろう。

当時に関する記事 : https://metalstorm.net/events/news_comments.php?news_id=3112

 

『Halmstad』以降、過激さだけでは終わらなかったShining

普通のバンドなら、この出来事だけで活動そのものが崩壊していても不思議ではない。

しかしShiningはその後も活動を続けた。

2007年に『V – Halmstad』、2009年に『VI – Klagopsalmer』、2011年には『VII – Född Förlorare』、2012年には『Redefining Darkness』を発表。2015年の『IX – Everyone, Everything, Everywhere, Ends』、2018年の『X – Varg Utan Flock』を経て、2023年には11枚目となるセルフタイトル作『SHINING』をリリースしている。

動画でも、2007年以降のShiningについて「同じ作品を繰り返しているだけではない」と評価している。

核にあるのは依然として暗く沈んだブラックメタルだが、ギターソロ、アコースティックな展開、ロック的なリズム、プログレッシブな構成などを継続的に取り込んできた。特に2015年の『IX – Everyone, Everything, Everywhere, Ends』について、投稿者はそれまでの作品よりもロック的な感覚やバンドが実際に演奏を楽しんでいるような躍動感が感じられる作品として挙げている。

現在までその活動は続いている。2024年には過去のデモ音源を異なるボーカリストと再構築した『Feberdrömmar (Del Ett)』を発表し、2025年12月にはその続編『Feberdrömmar (Del Två)』をリリース。後者ではSighの川嶋未来らを含む複数のゲスト・ボーカリストを迎え、各楽曲の歌詞をそれぞれの母国語へ作り変えるという実験的なアプローチを行っている。

1996年に12歳の少年が始めたプロジェクトが、約30年後にも新たな形で過去の楽曲を再構築している。

この継続性を考えると、Shiningを「過激なライブをするバンド」だけで説明するのは明らかに不十分だ。

 

Shiningを評価するとき、音楽と“伝説”をどう見るべきか

Niklas Kvarforthには、事実と伝説、本人の発言と意図的な演出が混ざり合ったエピソードが非常に多い。

その極端さこそShiningという存在を広めた要因である一方、そこだけに注目すると、このバンドがなぜ30年近く作品を作り続け、DSBMの重要バンドとして名前を残したのかが見えなくなる。

初期作品では、暗く反復的なブラックメタルを演奏していた。そこへ徐々にテンポの変化、アコースティック・パート、クラシカルな要素、ギターソロ、プログレッシブな構成を持ち込み、『The Eerie Cold』『Halmstad』の頃にはかなり独自の音楽へ変化している。

さらにその後も、単に2007年の成功作を再生産するのではなく、ロックやゴシック、クラシックなどの要素を吸収しながらShiningとしての暗さを維持してきた。

動画の投稿者も最終的には、DSBMというジャンルそのものを好むかどうかとは別に、Shiningには明確なミュージシャンシップが存在すると評価している。これはShiningを見るうえで重要な部分だろう。Kvarforthの過激な言動を肯定する必要はないし、現実の自己破壊をブラックメタルらしさとしてロマンティックに扱う必要もない。

しかし、そうした人物が生み出してきた音楽そのものを分析すれば、ShiningがDSBMを単なる低音質、反復、絶望感だけの音楽から、より広い表現へ押し広げたバンドの一つであることも見えてくる。そして2006年の失踪と2007年のGhoul事件は、その音楽以上に肥大化してしまった「Niklas Kvarforth」というキャラクターを象徴する出来事だった。

死亡説まで巻き込んだ異常な復活劇から約20年。Shiningは消えなかった。むしろ、バンドを取り巻くセンセーショナルな逸話が少しずつ過去のものになった現在だからこそ、『The Eerie Cold』『Halmstad』をはじめとした作品そのものが、改めてこのバンドの本質として残り続けているのかもしれない。

参照元動画

「He Faked His Own Death」

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