Turnstileの女性ギタリストMeg Millsはどのようにバンドへ加入したのか? 一人のファンからBlink-182ツアーへ、UKハードコアで歩んできた道を振り返る

現在Turnstileでギターを担当しているMeg Mills。しかし、彼女は突然巨大なステージへ現れたミュージシャンではない。

イギリスのハードコア・シーンでBig Cheeseを立ち上げ、Chubby and the Gangでも活動し、観客としてTurnstileを見ていた時代から、同じステージに出演するバンドへ。そして最終的にはBrendan Yatesから直接連絡を受け、Blink-182との約3カ月に及ぶアメリカ・ツアーへ参加することになった。

Knotfestのポッドキャスト「SHE’S WITH THE BAND」Episode 58では、Meg Millsが自身の音楽的な原点、リーズのハードコア・シーン、DIYツアー生活、Turnstileに参加するまでの経緯、巨大なアリーナへの適応、ハードコアとメインストリームの関係などについて詳しく語っている。

現在の姿だけを見れば華やかに映るかもしれない。しかしその背景には、窓もない地下室でのバンド練習、経済的に厳しい状態で続けたツアー、知らない人の家の床で眠った日々など、長いDIYハードコアでの経験があった。

 

リーズのハードコア・シーンに惹かれて19歳で移住

Meg Millsはロンドン出身だが、19歳頃にリーズへ移り住んだ。

その理由の大きな一つがハードコアだった。当時のリーズについてMegは、自分が好きだったハードコア・バンドが集まっている場所だったと振り返っている。

約10年前のリーズでは、The Flex、Higher Power、Shrapnelなどのバンドが登場し始め、イギリスだけでなくヨーロッパ各地から人々がライブへ訪れていた。Megによれば、街自体はそれほど大きくなく、自分たちで楽しみを作らなければならない環境だったことも、音楽シーンが発展した理由の一つだったのではないかという。

この時点のMegは、まだ中心的なバンドのメンバーとして活動していたわけではなく、一人の観客だった。

しかし2015~2016年頃、「Sick Of It AllやRest In Piecesのようなバンドをやりたい」と考え、自分から仲間を集める。それがBig Cheeseの始まりだった。

 

暗い地下室から始まったBig Cheese

Big CheeseはMegとボーカルのTomを中心にスタートした。Megがリフを書き、当時Higher Powerで活動していたLouisとAlexらが加わり、最初の練習はThe Flex周辺のメンバーが暮らしていた家の地下室で行われた。

そこは窓もなく、湿っぽいコンクリートに囲まれ、決して設備の整ったスタジオではなかったという。しかしMegは、そうした場所だからこそ重要だったとも振り返っている。

小さな地下室や自主運営の会場から生まれたバンドが、後に世界中で知られるようになる。その起点となった場所には、外側から見ただけでは分からない価値がある。

Meg自身も最近その家の前を通り、「自分の人生の方向を大きく変えたものが、ここで生まれたんだ」と感じたという。

 

My Chemical Romance、Paramore、The Damned――ハードコア以前の音楽的ルーツ

Megが音楽へ強く惹かれるようになったのは、さらに幼い頃だった。

12~13歳頃にはKerrang!やScuzzなどの音楽チャンネルを見ながら、My Chemical Romance、30 Seconds To Marsなどを発見。Paramoreも大好きで、12~13歳頃に購入した最初期のCDの一つだったという。

その後The Smithsを聴き、70~80年代のブリティッシュ・ニューウェーブやパンクへ進み、The Damnedがお気に入りのバンドとなった。

そこからさらに2010年代前半の新しいイギリスのハードコアへとつながっていく。ロンドンのカムデンにあるUnderworldでThe Rival Mobを観た経験もあり、興味深いことにMegが初めてTurnstileを見たのも同じ会場だった。

当時はメンバーと知り合いだったわけではない。純粋にTurnstileを観に来た一人のファンだった。

ギターを始めたのは10~11歳頃。Megは10代を通して、インディーロックからMidwest Emoまで「ギター・ミュージック」と呼べるものを幅広く聴いていたと話している。

 

ギターを始めるきっかけになった映画『Freaky Friday』

意外な原点として登場するのが映画『Freaky Friday』だ。

Megは9~10歳頃に同作を観て「脳の構造を変えられたような作品」と冗談交じりに表現している。特に強烈に記憶に残ったのが、女性がバンドでギターを弾き、ソロを演奏する姿だった。

地下室でバンド練習をする場面を見て「自分もこうなりたい」「ロック・ガールになりたい」と思い、親にギターを弾きたいと頼むようになったという。

後にハードコア・シーンへ進むMegにとって、最初に「女性がギターを持ってロックバンドで演奏する姿」を具体的に想像させてくれた作品の一つが『Freaky Friday』だった。

メタルやハードコアだけを聴いて育ったわけではなく、ポップカルチャーから受けた影響も隠さず語っている点は、Megの音楽に対する考え方をよく表している。

 

仕事に意味を感じられなかった時期、ハードコアが「光」だった

リーズへ移った当時、Megは決して順調な音楽人生を送っていたわけではない。本人は当時について、将来につながるように感じられない仕事をしながら生活しており、日常はかなり暗かったと振り返っている。

その中で大きな支えになったのが、週末にTemple Of Boomへ行くことだった。

自分のバンドで演奏する。ライブを観る。他のバンドのイベントを企画する。「自分は何をしているんだろう」と感じる日常の中でも、一日の終わりにはライブがある。それが人生に意味を与えるような存在だったという。

Big Cheeseはデモや7インチを発表し、ライブ活動を拡大。ロシアではモスクワ、サンクトペテルブルクでも演奏し、2018年にはTurnstileのイギリス・ツアーをサポートした。最初はTurnstileを観客として見ていたMegが、数年後には自分のバンドで彼らと同じツアーを回るようになっていた。

 

Chubby and the Gang、そして「フルタイムのミュージシャン」になるまで

Big Cheeseのメンバーはそれぞれ他の活動も抱えており、常に精力的にツアーできるバンドではなかった。その後MegはChubby and the Gangにも参加し、2作目ではベースを演奏してレコーディングにも参加した。

ロックダウン後、Chubby and the Gangで最初に演奏したライブはDownload Pilot。そこから約1年半にわたり、かなり継続的なツアー生活へ入っていった。

しかし「音楽だけで生活する」までの道のりは簡単ではなかった。

ツアーが多すぎて一般的な仕事を維持することが難しくなり、公的支援を受けたり、わずかな収入をつないだりしながら生活した時期もあったという。それだけ犠牲を払っても、最終的に音楽で生活できる保証はない。

それでも「いつかこれがフルタイムの仕事になるかもしれない」という可能性を信じ、非常に少ないお金で生活しながら活動を続けた。

 

ホテルではなく床で眠る――DIYツアーで得たもの

Megは、ハードコア・バンドで活動してきた人なら経験することとして、ヨーロッパ・ツアーで毎晩誰かの家の床に泊まったり、ときには犬用ベッドで寝たりするような生活についても語っている。

快適でも豪華でもない。

本人も振り返れば「そのときは普通に苦しんでいた」と認めている。

しかし、その経験があるからこそ生まれる関係もあった。

何週間も一緒に移動し、知らない土地で床に眠り、予想もしない状況を一緒に経験した仲間とは、生涯続くような結びつきが生まれる。そして各地で受けた人々からの親切によって、コミュニティや人間そのものへの信頼が強くなったという。

後にTurnstileの巨大なツアーへ参加するMegも、その出発点では「泊めてくれる人はいないか」と友人へ連絡しながらヨーロッパを回るDIYミュージシャンだった。

 

Brendan Yatesから突然届いた「ギターを弾かない?」という連絡

そして話はTurnstileへつながっていく。

Big Cheeseが2018年にTurnstileをサポートしたことでメンバーと知り合い、その後も連絡を取り続けた。Chubby and the Gangでも2022年のTurnstileのイギリス公演をサポートしている。

その後Chubby and the Gangでの活動が終了し、Megが再びツアーへ出たいと考えていた頃、Brendan Yatesと話す機会があった。「とにかくツアーへ行きたい」と話したことをBrendanは覚えていた。

それから約5カ月後、突然メッセージが届く。

「Turnstileでギターを弾くことに興味はある?」

というものだった。

Megは驚きながらも、ほぼ即答で参加する意思を伝えた。

さらにBrendanから知らされた最初の大仕事が、Blink-182との約3カ月間に及ぶアメリカ・ツアーだった。

あまりに大きな話だったため、Megは実際にアメリカへ向かう飛行機へ乗るまで、自分が本当にツアーへ参加するとは信じないようにしていたという。

周囲にもほとんど話さなかった。

誰かに「Blink-182とツアーする」と言ってしまえば、何かが起きて話自体がなくなってしまうのではないかと感じていた。

ビザが発行され、航空券を持ち、空港まで来たところで初めて「これは本当に起きるんだ」と実感した。

 

Turnstileでの初ライブはいきなり約15,000人のアリーナ

ツアー開始の約2週間前、Megはボルチモアへ渡り、Turnstileの練習場所でリハーサルを行った。

そして最初のライブはミネソタ州セントポール。

会場は約15,000人規模のアリーナだった。

それまでDIYハードコアや小~中規模の会場を中心に活動してきたMegにとって、環境はまったく異なっていた。

しかも最初の公演では照明の設定に問題があり、ステージ上へ最大出力に近い光が直接向けられていた。あまりに眩しく、演奏中に自分のアンプが見えず、つまずいてしまったほどだったという。

Megはその時点では、それが巨大アリーナで毎晩経験する普通の状態だと思っていた。

「これに慣れないといけないのか」と考えながらライブを終えたところ、実は他のメンバーも「今日の照明は何だったんだ」と感じており、通常の設定ではなかったことを知る。

そこでMegは逆に、「これを乗り越えられたなら、残りのツアーは大丈夫」と思えたという。

 

「歴史的な瞬間にいる」と感じるTurnstileのライブ

Turnstileのセットで特に好きな瞬間を聞かれたMegは、「ENDLESS」の終了部分を挙げている。

曲が突然終わり、すべての照明が完全な暗転へ入る。

その瞬間、毎回「これは歴史的なことなんじゃないか」という感覚になるという。

Turnstileがハードコアというジャンルに与えている影響や、自分たちが出演しているライブの規模を考えると、現在進行形で特別な瞬間を経験しているように感じる。

Meg自身はその状況について「自分はただ一緒に乗せてもらっているだけ」と謙虚に表現しているが、実際には幼い頃からギターを弾き、DIYハードコアで長い時間を過ごしてきた彼女自身も、そのステージを構成する一人になっている。

 

初めてのアジアツアー、日本は「今まで行った中でも最高の場所の一つ」

インタビューの直前には、Turnstileとしてタイ、インドネシア、日本、韓国を巡るアジア公演も経験していた。Megにとってアジアを訪れるのは初めてだった。

タイへ到着した際には夜行便の後にもかかわらず、眠るより街を見たいという気持ちが勝り、一人でボートに乗ったり寺院を巡ったりして一日中観光していたという。

ツアー中でもホテルにじっとしていることが難しく、可能な限り外へ出て、その土地を体験したくなるタイプだと話している。

その中でも特に気に入った場所として挙げたのが日本だった。

「日本は今まで行った中でも最高にクールな場所の一つ」と話し、街中で多くの人がバッグにつけているキャラクターのキーホルダーなどにも注目。「日本はtrinkets(小物)の国」と表現し、自身も同じように小物をバッグにつけるようになったという。

 

Turnstileの激しいライブへ身体を適応させる

Turnstileのライブは非常に運動量が多い。

Megも参加当初は、数公演を経験するまで自分がステージ上でどこまで動けるのか分からなかったと話している。

演奏しながら動き続けるためのスタミナを作ることは、本人によればワークアウトに近い。楽曲を確実に演奏する自信を身につけることに加え、広いステージで自分がどこを動くべきなのかを理解するまでにも時間が必要だった。

さらに、すでに完成されているTurnstileのステージ上の「流れ」の中で、自分の居場所を見つけなければならなかった。

しかし何度も一緒に演奏するうちに、他のメンバーが次に何をするのかを予測できる、ほとんどテレパシーのような感覚が生まれてくるという。

 

「ゲートキーピングはシーンを生かさない」

インタビューの中でも特に興味深いテーマとなったのが、Turnstileとメインストリームの関係だ。

Turnstileはハードコアをルーツに持ちながら、現在ではヘヴィ・ミュージックとは直接関係のないフェスティバルや巨大なポップ/ロック・アーティストとのツアーにも出演している。

Megは、この状況を非常に肯定的に見ている。

その一例として挙げたのが、マイアミで開催されたヒップホップ・フェスティバルRolling Loudだった。

Turnstileが出演するまでどのような反応になるのか予測できなかったが、実際には観客の至るところでサークルピットが発生し、一部のヘヴィ・ミュージック系フェスティバル以上に激しくモッシュする観客もいたという。

Megは現在について、異なるサブジャンルの境界を越えた交流をリスナーがこれまで以上に受け入れている時代ではないかと考えている。

そして、ハードコアを外部の人間から守ろうとするゲートキーピングについても否定的だ。

若い頃には、自分自身もハードコアを特別で神聖なもののように感じ、守りたいという気持ちがあったと認めている。

しかし現在は、「ゲートキーピングは、その文化が生き続けることを止めてしまうだけ」と考えている。

閉じたコミュニティが新しい人を拒絶し続ければ、最終的には人が来なくなり、ライブハウスが閉まり、シーンそのものが消えてしまうこともある。

一方、DIYシーンで長年活動し、その価値観を実際に経験してきたバンドが、より大きな観客をその世界へ連れてくるのであれば、それは素晴らしいことだという。

 

Turnstileがハードコアへの「入口」になっている

Megは実際に、普段はPost MaloneやImagine Dragonsなどを聴いている人のSpotifyに、ヘヴィなバンドとしてTurnstileだけが混ざっているような例も目にしているという。また、Spotifyのインディー系プレイリストからTurnstileを知ったというリスナーもいる。

Megはこれについて、Turnstileのソングライティングや創造性の証明ではないかと考えている。

最終的にはハードコア・バンドでありながら、さまざまな音楽から細い糸のように要素を取り込み、一つのサウンドへ織り込んでいる。

だからこそ、それまでハードコアを聴いていなかった人にも入口を作ることができる。

Turnstileをきっかけに別のハードコア・バンドを聴く人が増えれば、その成功は一つのバンドだけに留まらず、周囲のシーンにも広がっていく可能性がある。

 

地下室からBlink-182の巨大プロダクションへ

MegにとってTurnstile加入後に大きく変わったことの一つが、ライブ制作の規模だった。

以前は自分のギターアンプすら所有せず、その日の会場にある機材を借りたり、誰かからアンプヘッドを借りたりしながら演奏していた時期が長かった。

それが現在では、イヤーモニター、クリック、バックトラック、巨大な照明、LEDスクリーンなど、大規模なツアーを成立させるためのシステムを目の前で見るようになった。

特にBlink-182とのツアーでは、毎日巨大なステージが組み立てられ、多くのスタッフが公演を動かしている姿を間近で体験した。

MegはTurnstile自体については、こうした巨大ツアーの中では比較的シンプルな構成だと考えている。照明には大きなこだわりがあるものの、その中心にあるのはあくまで「バンドが音楽を演奏すること」だという。

窓のないリーズの地下室から、数十人のスタッフが一つのバンドを支えるアリーナ・ツアーへ。

Megのキャリアの変化を最も分かりやすく示す部分でもある。

 

失敗を引きずらず、「次はもっと準備する」

キャリア初期で最も大きな失敗は何だったかという質問に、Megは明確な出来事を思い出せないと答えている。

しかし、それには理由がある。

ライブを終えて「今日は自分ができる演奏より良くなかった」と感じることはある。それでも、その失敗を自分の中で必要以上に大きくしないようにしているという。

できなかったのであれば、次回もっと準備する。

それだけのこととして処理する。

失敗を「もう自分にはできない」と思う材料にしてしまえば、自信そのものを破壊してしまうからだ。

長いDIYツアー生活を経て、突然15,000人のアリーナへ立つという環境の変化にも対応できた背景には、このような考え方もあるのかもしれない。

 

Big Cheeseと、自身の新しい音楽も続いていく

Turnstileでの活動だけがMeg Millsの音楽人生ではない。

インタビューの最後ではBig Cheeseのライブ予定に加えて、自身が進めている別のレコードについても語っている。

インストゥルメンタル部分は2021年にすでに録音されており、最近になってボーカル制作を進めているという。

音楽的には初期PJ Harveyから強い影響を受けた作品を目指しており、フォーク、グランジ、ブルースなどを混ぜたロックに、スライドギターも取り入れている。

ハードコアだけでなく、幼い頃から幅広い「ギター・ミュージック」を聴いてきたMegらしいプロジェクトと言える。

 

一人のTurnstileファンから、その歴史の一部へ

Meg Millsのこれまでを並べてみると、現在のTurnstile参加へつながる出来事は一つだけではない。

10歳頃、『Freaky Friday』を観てギターを弾きたいと思った。

10代でMy Chemical RomanceやParamore、The Damnedを聴き、やがてハードコアへ辿り着いた。

ロンドンのカムデンにあるUnderworldでは、一人のファンとしてTurnstileを観た。

19歳でリーズへ移り、地下室でBig Cheeseを始めた。

2018年にはそのBig CheeseでTurnstileのツアーをサポートした。

Chubby and the Gangでも再びTurnstileと共演し、Brendan Yatesとの関係が続いた。

そして「またツアーへ行きたい」と話した数カ月後、Brendanから「ギターを弾かないか」という連絡が届いた。

最初に待っていたのは、小さなクラブツアーではなくBlink-182と回るアメリカの巨大アリーナだった。

こうして振り返ると劇的なサクセスストーリーに見えるが、その間には、仕事を続けられないほどツアーへ出ながらわずかな収入で生活した時期や、誰かの家の床を借りながら各地を回った年月が存在する。

Meg自身は、Turnstileが現在経験している巨大な瞬間について「自分はただ一緒に乗せてもらっている」と話す。

しかし、一人のファンとしてTurnstileを見ていた人物が、十年以上ハードコア・シーンで活動を続け、そのステージに立つところまで辿り着いた。

その歩みそのものもまた、DIYハードコアのコミュニティから世界規模へ成長した現在のTurnstileを取り巻く物語の一部と言えるだろう。

 

参照元動画

Knotfest「SHE’S WITH THE BAND Episode 58: Meg Mills (TURNSTILE, BIG CHEESE)」

Turnstileのルーツを作った音楽とは? Thin Lizzy、My Chemical Romance、Frank Ocean、Minor Threatらをメンバーが選び語る

ハードコアを出発点としながら、ロック、オルタナティヴ、ポップ、ソウル、ダンスミュージックなど幅広い要素を取り込み、独自の存在へ成長してきたTurnstile。その音楽的な幅広さがどこから生まれているのかを知るうえで、メンバー自身が愛するレコードを見ていくのは興味深い。

ARTE.tv Cultureの「Turnstile Record Box」では、ベルリンを訪れたTurnstileのメンバーがレコードを選び、それぞれの作品やアーティストにまつわる思い出を語っている。

登場するのはThin Lizzy、My Chemical Romance、Frank Ocean、Minor Threat、Angel Du$t、Blood Orangeなど。ハードコアだけに限定されない選曲からは、現在のTurnstileが非常に多様な音楽の上に成り立っていることが見えてくる。

 

Thin Lizzyへの深い愛情

最初に選ばれたのはThin Lizzyの作品だった。メンバーの一人は「史上最も好きなレコードの一つ」であり、Thin Lizzyの作品の中でも特にお気に入りだと語っている。インタビュー収録の少し前にはTurnstileのツアーがダブリンから始まっており、現地ではPhil Lynottの像も訪れたという。

さらに、以前在籍していたChubby and the GangでもThin Lizzyはメンバー共通のお気に入りだったと振り返る。友人から腕にThin Lizzyをモチーフにした小さなタトゥーを入れてもらったこともあり、単に好きなクラシック・ロック・バンドという以上の思い入れがあるようだ。

選ばれた楽曲は「Waiting for an Alibi」。Turnstileのサウンドとは直接結び付きにくいように見えるThin Lizzyだが、強力なギターメロディとロックバンドとしての存在感は、メンバーにとって重要な音楽的ルーツの一つになっている。

 

My Chemical Romanceを後から理解するようになった

続いて取り上げられたのがMy Chemical Romance。

メンバーの一人は、若い頃には最初からMy Chemical Romanceを好きだったわけではなく、むしろ少し否定的に見ていた時期があったと振り返っている。しかし後になって音楽を理解するようになり、メロディやギターパート、そして「バンドとして鳴っている」感覚に強く惹かれるようになったという。

その音楽には個人的な記憶も結び付いている。

Pizza Hutで働いていた頃、厨房を掃除しながらこの作品を聴いていたことを思い出すと話し、今では非常に大切なレコードとして評価している。映像で選ばれた曲は「Cemetery Drive」。

音楽を聴いた瞬間の評価が、そのまま一生変わらないとは限らない。若い頃には理解できなかった作品が、時間や経験を重ねることで突然重要なものになる。TurnstileのメンバーにとってMy Chemical Romanceは、そのような音楽の一つだったようだ。

 

Frank Ocean『Blonde』は日常生活に溶け込むレコード

Turnstileの幅広い音楽性を象徴する選盤の一つがFrank Oceanの『Blonde』だ。この作品について、メンバーは晴れた日の午後、家事をしながら聴くのが好きだと説明している。

激しいライブやハードコア・シーンとの思い出ではなく、日常生活の中で自然に流れている音楽として選ばれている点も興味深い。

Turnstileはハードコアをバックグラウンドに持ちながら、作品を重ねるにつれてメロディ、空間的なサウンド、ポップ的な感覚などを大きく広げてきた。今回のレコード選びからも、メンバーが日常的に聴いている音楽がハードコアだけに限定されていないことが分かる。

Frank Oceanのようなアーティストも、Turnstileのメンバーにとって特別な音楽の一部として存在している。

 

Minor Threatが教えた「仲間に反抗する」という考え方

Turnstileのルーツを考えるうえで、やはりハードコアは欠かせない。そこで登場するのがMinor Threatだ。

Turnstileはメリーランド/ワシントンD.C.周辺のシーンと強く結び付いており、Minor Threatについてメンバーは当然ながら非常に影響力の大きいバンドだと語っている。しかし、ここで注目されているのは単純な音楽性ではない。

Minor Threatについて最も好きな部分として語られたのが、「社会や権力に反抗するだけではなく、自分の周囲にいる仲間にも逆らう」という考え方だった。

政府や社会制度など巨大な存在に対して反抗的な姿勢を示すことは、パンクでは珍しいことではない。しかし、自分と同じシーンにいる仲間が全員同じ方向へ進んでいるときに、自分だけ違うことをするのははるかに難しい。

周囲に合わせるのではなく、自分が本当にやりたいことを選ぶ。

動画では、それこそがMinor Threatによってハードコアやパンクの精神性に持ち込まれた重要な要素だったのではないかと語られている。この考え方は、Turnstile自身の歩みにも重ねることができる。

ハードコア・バンドだから特定の音を出さなければならないという考えに従うのではなく、自分たちが面白いと思った音楽へ進む。その結果としてTurnstileは従来のハードコアの枠を大きく越えていった。

Minor Threatから受け継いだものは、単なる速いギターやハードコアの形式ではなく、「周囲に合わせない」という精神そのものなのかもしれない。

 

Angel Du$tとJustice Trippから受けた大きな影響

より直接的にTurnstileの歴史とつながっている存在として紹介されるのがAngel Du$tだ。特にJustice Trippについて、メンバーはTurnstileに最も大きな影響を与えた人物の一人ではないかと語っている。

まだ若く、ライブへ通い始めた頃からJusticeは年上の存在として彼らを気に掛け、ライブへ連れていったり、当時組んでいた地元のバンドを応援したりしていたという。

その後、Turnstileの複数のメンバーがAngel Du$tにも参加しており、両バンドの関係は単に同じシーンから生まれたという以上に深い。

Justiceについて、音楽の世界には時折「ユニコーン」のような特別な人物がいると表現し、彼が常に他の人より10歩ほど先を進んでいるように感じるとも語っている。同時に、Baltimoreを代表する存在であり、大切な友人でもある。

今回選ばれたAngel Du$tの作品については、Turnstileのメンバーが参加していない作品であるため、純粋にファンとして外側から楽しめることも嬉しいと話している。選曲は「Space Jam」。何年もさまざまな形で聴き続けている曲であり、本人にとって生命力のようなものになっているという。

Turnstileの歴史を考えるとき、影響は有名な過去のバンドだけから受けるものではない。自分たちと同じ地域にいて、実際にライブへ連れていってくれた人物や、活動を支えてくれた仲間もまた、そのバンドを形成する大きな存在になる。

 

Blood Orangeは「音楽を作る人として深く尊敬している」

最後に強い愛情が語られるのがBlood OrangeのDev Hynesだ。

メンバーは以前からBlood Orangeの音楽を知っていたものの、ある時期から本格的に夢中になったという。現在ではDev Hynesについて「音楽を作る人として最も好きな人物の一人」と表現している。

さらに、単に憧れているアーティストというだけではなく、現在は素晴らしい友人でもあると語っている。

ここでもAngel Du$tのJusticeと同じように、「ユニコーン」という表現が使われている。音楽の進化を追うこと自体が刺激になり、常にその作品へ惹き付けられる特別な人物だという。

動画収録時には新作『Essex Honey』についても触れ、現在最も好きなアルバムだと話している。一方で、その日の気分によってお気に入りの作品が変わること自体も、音楽ファンとして楽しいと語っている。

今回選ばれた曲は「Augustine」だった。

ハードコア、クラシック・ロック、エモ、R&B、オルタナティヴ・ポップなど、まったく異なる場所から生まれた音楽を同じように愛している。その姿勢は、Turnstileが特定ジャンルのルールに閉じ込められない理由とも重なって見える。

 

Turnstileの音楽がジャンルを越えていく理由

今回の「Record Box」で選ばれた音楽を見ると、Turnstileがなぜ現在のようなサウンドになったのか、その一端が見えてくる。

Thin Lizzyから受け取ったロックバンドとしてのメロディや存在感。

My Chemical Romanceの強烈なメロディとギターパート。

Frank Oceanの『Blonde』のように日常へ自然に入り込む音楽。

Minor Threatが示した、社会だけでなく同じ仲間に対しても自分自身の考えを貫くというパンクの精神。

Angel Du$tとJustice Trippを通じて経験したBaltimore周辺のコミュニティ。

そしてBlood Orangeの絶えず変化する音楽への憧れ。

これらは一見するとバラバラだ。

しかしTurnstileの音楽自体もまた、さまざまな要素が一つに結び付いている。

重要なのは、どのジャンルに所属するかではなく、自分たちが強く惹かれる音楽を受け入れることなのだろう。

その意味で特に象徴的なのが、Minor Threatについて語られた「仲間に逆らうことの方が難しい」という考え方だ。

ハードコアの中で育ったからこそ、ハードコアの中で期待される音楽を作り続けるという選択肢もあった。しかしTurnstileは、周囲から何と呼ばれるかより、自分たちが面白いと思うものを音楽へ取り込み続けてきた。

今回選ばれたレコードは、その自由な感覚が突然生まれたものではなく、メンバーが長い時間をかけて聴いてきた多様な音楽や、身近なコミュニティの中から育ってきたことを感じさせる。

Turnstileのサウンドを作っているのは、ハードコアだけではない。

むしろ、ハードコアを中心に置きながら、そこへまったく異なる音楽を自然に受け入れる姿勢そのものが、Turnstileというバンドの大きな特徴なのかもしれない。

参照元動画

ARTE.tv Culture「Turnstile Record Box」

Turnstileはどのように始まったのか? Brendan Yatesが語る音楽との出会い、家族、Trapped Under Ice、そしてバンドという共同体

世界的な成功を収める現在のTurnstileからは想像しにくいかもしれないが、その始まりには、両親の家の地下室、子供の頃にもらったドラムセット、MySpaceを通じて決まった小さなライブ、そして父親が運転するバンで機材を運んだ日々があった。

TurnstileのBrendan YatesがIdentifiedのインタビューに登場し、自身の家族、幼少期に音楽へ興味を持ったきっかけ、初めて組んだバンド、Trapped Under Iceで経験したツアー、そしてTurnstileの初期について振り返っている。

インタビューの大きなテーマになっているのは「家族」だ。血のつながった家族から受けた影響だけでなく、長い時間をともに過ごすバンドもまた、Brendanにとって家族に近い存在だという。彼はバンドについて「5人で築く親密な関係」のようなものだと表現し、ツアー、成功、失敗、喪失まで共有する特殊な共同体について語っている。

 

音楽に囲まれて育ったBrendan Yates

Brendan Yatesには、姉、兄、妹の3人のきょうだいがいる。その中でも音楽との出会いに大きな影響を与えた人物の一人が姉だった。

Brendanが幼かった1990年代初頭、姉はミックステープを作ってくれたり、ボルチモア周辺のスケーターやバンドで活動する人々とBrendanをつないだりしていた。当時Brendan自身もスケートボードに夢中になっており、姉を通じて音楽と地元のカルチャーへ自然に触れていったという。

両親も家庭で音楽を流していたが、さらに直接的な音楽体験を与えたのが母方の祖父だった。祖父はピアノを弾き、多くのジャズ・レコードを所有していた。幼いBrendanは祖父の家に行くとピアノを叩いて遊びたがり、祖父がきちんと弾き方を見せようとしても、まだ子供だった彼は自由に音を鳴らすことの方に夢中だった。後に祖父のジャズ・レコード・コレクションはBrendanへ譲られている。振り返れば、祖父との時間は彼にとって誰かから音楽を教えてもらった最初期の経験の一つだったという。

ただし、Brendanが最初に本格的に夢中になった楽器はピアノではなくドラムだった。

 

10歳頃にもらったドラムセットがすべての始まりに

8歳か9歳頃にはすでにドラムへの強い興味を持ち、自分のドラムセットを欲しがるようになった。両親は、本当に続けるのかを確認するため、最初から本格的なセットを買い与えることには慎重だったという。その後、父親の親友が楽器店で働いていたこともあり、10歳頃に念願のドラムセットを手に入れる。

Brendanにとって、それは非常に大きな出来事だった。自分だけの楽器を手に入れ、好きなだけ向き合えるようになったからだ。クリスマスにもらったドラムセットを地下室に設置すると、その日の夜から何時間も演奏を続けた。あまりの音量に両親から休むよう言われたときには、世界が終わるような気持ちになったほど夢中だったという。その地下室は、やがてBrendanの音楽人生における重要な場所になっていく。

近所の友人たちとバンドを組むようになると、ギターアンプなどを持ち込み、地下室で練習を繰り返した。両親は大きな音にも耐えながら、友人たちが集まってバンドを練習できる場所を提供し続けた。Brendanは大人になった現在になって、それがどれほど大きな支援だったのかを実感しているという。

 

父親のバンで向かった、小さなライブ

家族のサポートは練習場所だけではなかった。

Brendanが地元でバンド活動を始めると、父親は彼らをライブへ連れていく役割も担った。観客がわずか2人しかいないようなペンシルベニアでの小さな公演にも、父親はバンへドラム、アンプ、その他の機材を積み込み、メンバー全員を乗せて会場まで運転した。

ライブが終われば再び機材を積み、家まで連れて帰る。

当時のBrendanたちには、本格的なツアーの仕組みも、ブッキングについての知識もなかった。MySpaceなどを通じて「このライブに出ないか」と連絡が届けば、それを両親に伝え、父親に会場まで連れていってもらう。そのような形で少しずつライブ活動の範囲を広げていった。

楽器を買い与えるだけでなく、時間を使い、機材を運び、遠くのライブまで送り届ける。Brendanの初期の音楽活動が続いた背景には、家族による非常に大きな支えがあった。

そして、その地下室は後にTurnstileの歴史にも直接つながっていく。

 

Turnstile初期の7インチも両親の地下室で録音

Brendanによれば、Turnstile初期の7インチ作品のいくつかは、彼が子供の頃からドラムを叩いていた両親の家の地下室でレコーディングされた。近所に住んでいた友人が録音方法を覚え、機材を地下室へ持ち込んで、自分たちで試行錯誤しながら作品を作っていったという。

現在のTurnstileは巨大なフェスティバルや会場に出演するバンドとなったが、その音楽の初期段階には、大きなスタジオや充実した制作環境があったわけではない。子供の頃から使っていた地下室に仲間が集まり、手元にある機材を利用して自分たちで録音するところから始まっていた。

Brendanが幼い頃から自由にドラムを演奏できた場所が、そのままTurnstile初期の作品を生み出す場所にもなったことになる。

 

Trapped Under Iceで初めて本格的なツアーを経験

Turnstile以前、BrendanはTrapped Under Iceでドラムを担当していた。

彼にとってTrapped Under Iceは、初めて本格的なツアーを経験したバンドだった。学校を途中で離れ、本格的にバンド活動へ踏み出すことになったのもこの時期だったという。

メンバーは友人であると同時に、Brendanより少し年上で、彼がライブへ通い始めた頃から憧れていた存在でもあった。その仲間たちがBrendanをバンドへ迎え、世界各地のツアーへ連れ出していった。

それまでのBrendanにとって「ツアー」といえば、父親の車で近隣の州へライブをしに行ったり、自分たちが運転免許を取得してから東海岸を移動したりする程度だった。地元ではコミュニティセンターやVFWホールなどでライブを行っていたが、Trapped Under Iceへの加入によって、その世界は一気に広がった。

自分が育った地域の外へ出て、世界各地を巡る。Brendanは、それによって人生そのものに対する見え方が変わったと振り返っている。

その経験を経て、2010年末頃にTurnstileが始動。最初のライブは2011年頃だったとBrendanは語っている。

 

「バンドは5人で築く親密な関係のようなもの」

インタビュー後半では、長期間バンドを続けることそのものについて話が広がっていく。

Brendanは「バンドには家族的な要素があるか」と尋ねられると強く同意し、バンドに所属することを「5人で築くロマンティックで親密な関係のようなもの」と表現している。

一般的な仕事とは違い、バンドメンバーは勤務時間だけ一緒にいるわけではない。ライブが終わっても同じバンへ乗り込み、長距離を移動し、同じ場所で眠り、翌日にはまた同じステージへ向かう。

特に活動初期には経済的な余裕もない。Turnstileがツアーを始めた頃もホテルを取ることはほとんどなく、一晩中運転するか、ライブ関係者や友人の家に泊まり、床で眠るような生活を続けていた。ホテルへ泊まれるようになってからも、一部屋だけを取り、メンバーが怪しまれないよう別々に入室し、全員で眠ることもあったという。

一人になれる時間はほとんどない。Brendanは冗談を交えながら、トイレにいるときですら他のメンバーが歯を磨くために入ってくるような生活だったと話している。

だからこそ、バンドでは自分自身よりも集団全体を優先しなければならない瞬間が生まれる。

 

バンドを続けるためには「犠牲」と「努力」が必要

長時間をともに過ごせば、関係が完璧になるわけではない。

むしろBrendanは、バンドの人間関係は「常に不完全」だと考えている。性格も状況も異なる人間が一つの共同体として活動する以上、関係を維持するためには仕事が必要であり、時には犠牲も必要になる。

必ず誰かが間違える。コミュニケーションがうまくいかないこともある。

重要なのは、問題を完全になくすことではなく、その関係を維持しようとする努力を続けることだという。誰かがコミュニケーションを失敗すること自体は避けられなくても、「理解しようとする努力」そのものを放棄した瞬間に関係は崩れ始める。

その感覚は、Brendanにとって血のつながった家族にも近い。

長期間連絡を取らなかったとしても、家族には簡単には消えないつながりがある。バンドも、長い時間や特殊な経験を共有することで、それに似た結びつきを持つようになると考えている。

 

成功だけでなく、喪失も一緒に経験する

30代になったBrendanは、年齢を重ねるにつれて人生の脆さを実感する場面が増えたという。

友人や家族を失うこと。死だけではなく、人生の変化によって大切だった人物と離れていくこと。それらを一人だけで処理するのは非常に難しい。そこで重要になるのが家族やコミュニティの存在だとBrendanは話す。

長く活動してきたバンドでは、成功やツアーだけを共有するわけではない。それぞれのメンバーが個人的な問題を抱えながら、ときにはバンド全体として問題に直面し、誰かの悲しみや喪失を全員で経験することもある。

メンバーは一つのチームでありながら、それぞれが独立した一人の人間でもある。その複雑な関係を維持するには、やはりコミュニケーションを続ける必要がある。

Brendanは、自分が現在存在している人間関係に感謝していると話す一方で、過去にはうまく機能しない人間関係も多く見てきたという。その経験があるからこそ、家族でもバンドでも友情でも、完璧さではなく「関係を維持しようとする意志」が重要なのだと考えている。

 

Brendan Yatesにとって「家族」とは何か

インタビューの最後に「あなたにとって家族とは何か」と尋ねられたBrendanは、自分を無理に演出する必要のない場所だと答えている。

何も話さず、完全な沈黙の中にいてもいい。誰かに見せるための自分を作らず、そのままの状態で存在できる。そして、それでも歓迎され、理解されていると感じられる場所。

10代の頃、コミュニケーションが難しく、世界の重さを強く感じていた時期でも、家族の集まりへ行けば何も話さずにそこにいることができた。機嫌が悪くても、誰かが大騒ぎするわけではなく、自然に食事が用意され、そこに存在することを許されていた。

Brendanにとって家族とは、そのような安心できる場所であると同時に、一方的に受け入れてもらうだけの関係でもない。自分も相手のためにそこにいる必要があり、時には自分のことを優先せず、難しい状況でも支える必要がある。

そして家族は、必ずしも血縁によって決まるものでもない。

出会ってわずか数日で、生涯続くような強い結びつきを感じる人物もいる。一方、永遠にそばにいると思っていた人物と、人生の流れによって離れていくこともある。

時間の長さだけで親密さが決まるわけではない。

それでも人生の周囲には、自分が安心して戻ることのできる「ホームベース」のような人々が存在する。間違えることを恐れず、自分の気持ちを話すことができ、そのままの自分でいることを許される場所。それがBrendan Yatesにとっての「家族」なのだという。

 

Turnstileの原点にあったもの

このインタビューから見えてくるTurnstileの原点は、一つの劇的な出来事ではない。

姉から渡されたミックステープ。祖父のピアノとジャズ・レコード。10歳頃にもらったドラムセット。友人たちと音を鳴らした地下室。観客がほとんどいないライブにも機材を積んで連れていってくれた父親。MySpaceを通じて届いたライブの誘い。そしてTrapped Under Iceで経験した初めての本格的なツアー。

そうした小さな経験が積み重なった先にTurnstileがある。

特に象徴的なのは、Turnstile初期の作品が、Brendanが子供の頃から音楽を続けてきた両親の家の地下室で録音されていたことだろう。

現在の規模だけを見れば、Turnstileは現代のロック/ハードコアを代表する世界的なバンドの一つとして映る。しかし、その根底にあるのは、仲間と集まり、自分たちで音を出し、自分たちで録音し、ライブのできる場所を探して動き続けたDIYな音楽体験だった。

そしてBrendanが長いバンド生活を経て語る「家族」という考え方も、その原点と無関係ではない。

バンドは完璧な関係ではない。長く続けるためには犠牲も必要であり、誰かが間違え、コミュニケーションが失敗することもある。それでも、互いに関係を維持しようとする。

Turnstileの始まりを振り返るこのインタビューは、バンドがどのように結成されたのかという歴史だけでなく、Brendan Yatesという人物が音楽を続けてきた背景にある家族、コミュニティ、そして人とのつながりまでを映し出している。

 

参照元動画

「Turnstile’s Brendan Yates on the Origins of the Band」

元TurnstileのBrady Ebert擁する注目バンド”The S.E.T.”、Flatspot Recordsとの契約を発表!

元TurnstileのギタリストBrady Ebertがメンバーとして在籍するハードコアバンドThe S.E.T.は、Flatspot Recordsと契約を結び、デビューEPのリリース準備を進めていることが分かった。

バンド名The S.E.T.は「The Self Evident Truth」の略で、2025年9月にライブデビューを果たしている。The S.E.T.は2026年1月31日に米国メリーランド州ボルチモアのBaltimore Soundstageで開催されるDisturbin’ The Peaceフェスティバルへの出演も決定している。

Turnstile、ジャズ・ユニットBADBADNOTGOODとタッグを組み、『GLOW ON』を再構築、EP『New Heart Designs』を発表

アメリカ・ボルチモアのオルタナティヴ・パンク・バンド、Turnstile (ターンスタイル)とトロントのアート・ジャズ・アンサンブル、BADBADNOTGOOD (バッド・バッド・ノット・グッド) が、コラボレーションEP『New Heart Designs』をリリースしました。このリリースでは、2つのグループが手を組み、TURNSTILEの有名なLP『GLOW ON』の曲を再構築するといったテーマを持っている。また、Alex Henery (アレックス・ヘネラリー)によって撮影・編集された「Mystery」、「Alien Love Call」(Ft. Blood Orange)、「Underwater Boi」の再編集バージョンのEPフルビデオ「New Heart Designs」も公開している。

プロデューサーのMike Elizondo (マイク・エリゾンド)とレコーディングし、TURNSTILEのヴォーカリスト、Brendan Yates (ブレンダン・イェーツ)と共同プロデュースした『GLOW ON』は、2021年のトップ・リリースのひとつとしての地位を確立し、ボルチモアのバンドは第65回グラミー賞で初めてグラミー賞にノミネートされた。バンドは、「HOLIDAY」が「最優秀ロック・ソング」と「最優秀ロック・パフォーマンス」の両部門にノミネートされ、「BLACKOUT」が「最優秀メタル・パフォーマンス」部門にノミネートされ、合計3部門にノミネートされた。