SpiritboxのCourtney LaPlanteはなぜこれほど歌が上手いのか? 「Keep Sweet」ワンテイクを2人のボーカルコーチが徹底分析

SpiritboxのCourtney LaPlanteについて語るとき、どうしても最初に注目されるのはクリーンとスクリームを自在に行き来する圧倒的なレンジだろう。しかし彼女の歌唱を細かく聴いていくと、本当に優れているのは「どれだけ高い声を出せるか」「どれだけ凶悪なスクリームを出せるか」といった分かりやすい部分だけではない。

Spiritboxが公開した「Keep Sweet」のワンテイク・パフォーマンスを、Kardavox AcademyのMarkとボーカルコーチのVeronnaが分析する動画「Does Courtney have the best one takes? – Spiritbox “keep sweet” Vocal Analysis」では、Courtneyの強みとして何度も「subtlety=繊細さ」が挙げられている。

胸声を中心にした力強い歌唱、そこから自然に変化する声色、必要以上に音を動かさないメロディ、スクリームへ入る際の声のポジション、そしてバックの演奏に合わせて自分の存在感を細かく変えていくコントロール。Spiritboxの音楽が複雑でありながら、不思議なほど自然に耳へ入ってくる理由の一端が、Courtneyのボーカルから見えてくる。

 

高音を連発しなくても強い――Courtneyのクリーンを支える声のコントロール

分析の冒頭でMarkが注目しているのが、「Keep Sweet」が強いチェスト・ボイスの可能性を非常によく示しているという点だ。ボーカルを学び始めた人は、明るい声や高い音を聞くとすぐにヘッド・ボイスだと考えがちだが、Courtneyは胸声を主体にしたまま声の明るさ、質感、強さを大きく変化させているという。Veronnaも、ヴァースでは中高域付近を動きながら時折ヘッド側へ軽くフリップするような動きを使い、その移行が非常に滑らかだと指摘している。

ここで重要なのは、Courtneyが常に最大出力で歌っているわけではないことだ。同じチェスト・ボイスでも柔らかく響かせることもできれば、より前へ押し出して大きな存在感を作ることもできる。音程だけで声を変えているのではなく、音色、空気の量、声の密度を細かく調整しながら、同じレンジの中に複数の表情を作っている。

後半でMarkは、この特徴をより分かりやすく「光のオン/オフ」のような極端な変化ではなく、「壁に揺れる葉の影」のような変化だと表現している。明るい声から突然暗い声へ切り替えるのではなく、その間にある数多くの濃淡を使っているということだ。VeronnaもCourtneyのアルト寄りの丸みを帯びたトーンを評価し、チェストの中にもわずかな傾きを持たせることで、柔らかさから力強さまで幅広く行き来できていると分析する。

派手なロングトーンや大きなランを連発するタイプではない。それでも耳を奪われるのは、一つ一つの音の表情を極めて細かく作り分けているからだ。

VeronnaがCourtneyを評した「smart singer」という言葉は、その特徴をかなり端的に表している。

 

スクリームも“特殊な技”として孤立していない

Courtneyの代名詞でもあるスクリームについても、Markは興味深い見方をしている。「Keep Sweet」で使われているスクリーム自体は、デスコアで聞かれるような極端な特殊発声とは異なり、構造としては比較的シンプルなところから発展させられるものだという。しかし、同じような発声を使うボーカリストが多く存在する中で、Courtneyはその音を「Courtney LaPlanteの声」として成立させている。

Markが特に評価するのは、滑らかすぎず、かといって過剰にザラつかせすぎないバランスだ。「aggressive but not abrasive」と説明しており、攻撃性はあるのに、耳を押し潰すような粗さだけにはならない。その中間地点を安定して維持できることが、彼女のスクリームを特徴的にしているという。

さらに後半では、歪みそのものだけではなく、その下にある通常の声がどのような状態になっているかという話へ進む。MarkとVeronnaは、Courtneyが低い声のまま上へ歪みを乗せているのではなく、かなり高い位置のチェスト/ミックス寄りの状態を土台としていると分析。それによって上に重なる歪みの響き方まで変わると説明している。

つまりスクリームを一つの独立した「エフェクト」として考えるのではなく、通常の歌声と同じように、下にある声の形、声色、空気圧など複数の要素が重なった結果として捉えている。

これはCourtneyのクリーンとスクリームが、曲の中で不自然に分離して聞こえない理由の一つでもあるだろう。クリーンから突然「別の声」に切り替わるのではなく、同じ楽器の音色が変化していくように聞こえる。

 

Spiritboxが得意とする“わずかな変化”――ポップにもメタルにも聞こえる理由

動画でもう一つ大きなテーマになっているのが、Spiritboxそのものの作曲能力だ。

Markは彼らを「subtletyの達人」と表現している。同じような素材を使いながら、最後のわずかな音の処理を変えるだけで、それまでポップに聞こえていたフレーズを突然メタルの文脈へ着地させる。大きくジャンルを切り替えるのではなく、数音の動きや解決の仕方によって曲の印象そのものを変えてしまう。

Veronnaが注目したのは、その複雑なバックトラックの上でCourtneyがあえて一つの音程に長く留まる場面だ。伴奏側で多くのことが起きているとき、ボーカルまで大きく動けば情報量が多すぎる。そこで同じピッチの上に複数の言葉を流し込み、息の流れを途切れさせずに歌うことで、バックの動きを邪魔せずボーカルの存在感も維持しているという。

Markもこれを受け、重要なのは「どんな音を歌うか」だけではなく、楽曲全体とどのように噛み合うかだと説明する。長い時間同じ音程にいても、声の強弱、感情、リズム、演奏との関係を変えることで十分に面白くできる。

この発想は「Keep Sweet」のアレンジにも表れている。

途中ではドラムンベースを思わせる高速かつ柔らかなリズムが現れ、90年代末から2000年代初頭を思わせる電子的な質感も顔を出す。しかし、突然「ここからドラムンベース」「ここからジャズ」「ここからメタル」と切り替わるわけではない。音色やリズムが少しずつ変化し、すべてが同じ曲の中で自然に溶け合っている。

Markは料理に例え、「肉団子に後からソースをかける」のではなく、「ソースの中で一緒に煮込んでいる」ようなものだと説明している。

Spiritboxのジャンル横断性を考えるうえで、かなり分かりやすい例えだ。

 

“上手い”ではなく、“必要なことだけをする”という凄さ

「Keep Sweet」の後半では、明るい響きからより暗い方向へ和声感が変化し、そのまま楽曲で最もヘヴィなパートへ突入する部分にも注目が集まる。MarkとVeronnaは、このわずかなハーモニーの変化が次の展開を自然に準備していることを評価している。突然ブレイクダウンを置いて衝撃を作るのではなく、その少し前からリスナーの感覚を無意識に暗い方向へ動かしている。

そしてCourtneyの歌唱も同じ考え方で動いている。

極端なランを入れない。必要以上にレンジを見せつけない。常に最大音量で歌わない。スクリームも、ただ最も重い声を出そうとはしない。しかし必要な場面では確実に前へ出る。

動画を通してMarkが何度も評価しているのは、Courtneyが「自分の持っているものを非常に上手く使っている」ことだ。彼女の技術力を考えれば、もっと派手なことをすることもできるはずだが、曲が必要としていないならやらない。代わりに、空気の量や声色を少し変え、同じ音程の中でも表情を作り、演奏の密度に合わせて自分の存在感を調整する。

それこそが、Courtneyを単に「クリーンもスクリームもできるボーカリスト」以上の存在にしているのだろう。テクニックを持っていることと、それをいつ使うべきか知っていることは別だ。Courtney LaPlanteの場合、その後者が非常に強い。

 

ワンテイクだからこそ見えるCourtney LaPlanteの本当の強み

今回分析された「Keep Sweet」の映像は、CourtneyがMixWaveと共同開発したシグネチャー・ボーカル・プラグインを使用して行ったワンテイク・パフォーマンスだ。クリーンからスクリームまでを一度の流れで披露し、その声を実際の処理環境も含めて見せる内容になっている。

ただ、Kardavox Academyの分析を見ていると、この映像の面白さは単に「一発録りでもアルバムのように上手い」という部分だけではない。むしろ、普段の完成されたSpiritboxの音源では見落としやすい細かな判断が見えてくる。

どこで息を増やすのか。どこで音色を暗くするのか。どこでは声を動かさず、演奏側へスペースを渡すのか。どこからスクリームへ入り、どこで再びクリーンへ戻るのか。その選択の一つ一つが、派手ではないからこそ自然に聞こえている。

Courtneyのボーカルを語ると、強烈なスクリームと美しいクリーンという「二面性」がよく強調される。しかし「Keep Sweet」のワンテイクと今回の分析から見えてくるのは、それよりもさらに細かな部分だ。実際には二つの声しかないわけではない。その間に何十もの濃淡がある。

そしてSpiritboxの音楽も同じだ。ポップ、メタル、プログレッシブ、電子音楽といったジャンルが別々に配置されているのではなく、その境界を少しずつ動かしながら一つの曲へまとめている。Courtney LaPlanteの歌唱は、そのSpiritboxというバンドの作曲思想そのものによく似ている。

大きな変化を見せつけるのではなく、細かな変化を積み重ねた結果として、気付いたときにはまったく違う場所へ連れていかれている。

「Keep Sweet」のワンテイクがこれほど印象に残る理由は、完璧に歌えているからだけではない。何をするか以上に、何をしないかまで理解している。そのコントロールこそが、Courtney LaPlanteというボーカリストの大きな強みなのだ。

参照元動画

Kardavox Academy「Does Courtney have the best one takes? – Spiritbox “keep sweet” Vocal Analysis」

ShiningのNiklas Kvarforthはなぜ自らの「死亡説」まで利用したのか? DSBMを代表するバンド、その音楽と異常な2007年の復活劇

ブラックメタルの歴史には、音楽そのものと同じくらい強烈な逸話を残した人物が少なくない。その中でも、スウェーデンのShiningを率いるNiklas Kvarforthはかなり特殊な存在だ。

12歳でバンドを始め、10代のうちから作品を発表。Shiningは後にDepressive Suicidal Black Metal、いわゆるDSBMを語るうえで避けて通れないバンドの一つとなった。しかしKvarforthが注目を集めてきた理由は音楽だけではない。自己破壊的な思想を前面に出した歌詞や発言、危険性を伴うライブ・パフォーマンス、極端な言動によって、ブラックメタルの中でも特に物議を醸す人物として知られるようになった。

そして2006年、そのキャリアでも最も異様な事件が起こる。

Kvarforthが突然消息を絶ち、バンド側は「死亡した可能性がある」と発表。さらに本人が残した意向として、正体不明の新ボーカリスト“Ghoul”の加入まで告知された。しかし翌2007年、スウェーデン・ハルムスタッドで行われたライブへ現れたGhoulの正体は、ほかでもないKvarforth本人だった。

YouTube動画「He Faked His Own Death」は、この奇妙な死亡説を入り口に、Shiningがどのように形成され、音楽的に発展し、その過程でKvarforthの人物像とバンドの表現がどこまで一体化していったのかを追っている。

 

12歳で始まったShining、初期DSBMから独自の音楽へ

Niklas Kvarforthは1983年12月7日、スウェーデンのハルムスタッドに生まれた。幼い頃からGuns N’ RosesやMetallicaなどへ触れ、その後ブラックメタルへ興味を広げ、1996年、わずか12歳でShiningを始動する。1998年には最初のEP『Submit to Self-Destruction』を発表。当時Kvarforthはまだ14歳で、この作品ではギターとベースを担当していた。

2000年の1stアルバム『I – Within Deep Dark Chambers』から自身がボーカルも担当し、Shiningは暗く沈み込むようなブラックメタルを本格的に展開していく。初期作品では反復性の強いリフや重苦しいテンポを軸としていたが、作品を重ねるにつれて単純な「暗さ」だけではない方向へ進んだ。

特に2005年の『IV – The Eerie Cold』では、アコースティック・ギター、テンポチェンジ、ギターソロ、より複雑な構成を積極的に導入。プログレッシブな要素をブラックメタルへ取り込み、Shining独自の音楽像を確立していく。MayhemのHellhammerことJan Axel Blombergが『III – Angst, Självdestruktivitetens Emissarie』と『IV – The Eerie Cold』に参加したことも、この時期の演奏面を大きく押し上げた要素だった。

その流れが一つの頂点へ達したのが、2007年の5thアルバム『V – Halmstad』だ。

動画では、この作品をShiningにとって最も重要なアルバムの一つとして位置付けている。初期から続いていた沈鬱なブラックメタルを基盤にしながら、アコースティックなパート、クラシカルな要素、メロディ、ギターソロ、テンポの大きな変化までを組み込み、単なる反復的なDSBMとは異なる作品へ発展した。

ShiningはDSBMそのものを最初に作ったバンドではない。しかし動画の投稿者が指摘するように、『Halmstad』前後の活動によってこのスタイルを2000年代後半以降のリスナーへ広く知らしめたことは、バンドの大きな功績といえる。Shiningが後続に残した影響は、単なる陰鬱な音像ではなく、そこへプログレッシブ・メタルやクラシック、ロック的なギター表現まで持ち込めることを示した点にもある。

 

音楽と人物像が切り離せなくなっていった2000年代

一方、Shiningを語るうえで難しいのは、Kvarforthの人物像と音楽を完全に切り離すことができない点だ。

本人はこれまでのインタビューで、幼少期からの精神的な苦痛や長期にわたる不調について公に語ってきた。Shiningの歌詞やコンセプトにも自己破壊、孤立、絶望といった主題が強く反映され、それは単なるホラー的なフィクションではなく、Kvarforth本人の感情や思想と密接につながっているものとして提示されてきた。

しかし2000年代中盤になると、その姿勢は音源だけに収まらなくなる。ライブでも自傷を伴う過激なパフォーマンスや観客との衝突が報告されるようになり、Shiningの公演そのものが危険なイベントとして語られることも増えていった。動画では、当時のスウェーデンのメディアでもこうしたライブについて取り上げられたと説明している。

 

ここはShiningを評価するときに慎重に考える必要がある部分だろう。

極端な感情を音楽へ転換することと、現実の危険な行為を肯定することは同じではない。動画の投稿者自身も、Kvarforthの表現を単純に「苦悩する芸術家」として美化することには距離を置いている。本人の苦痛から非常に強い作品が生まれたとしても、その周囲で起きたすべての行動まで芸術として肯定する必要はない。

それでもShiningの音楽が評価され続けているのは、過激さだけでは説明できない。作品を重ねるにつれてリフや構成の幅を広げ、DSBMの感情的な重さを保ちながら、よりダイナミックなエクストリーム・メタルへ発展させてきた。ショック性を取り除いても、楽曲そのものに明確な個性が残る。それがShiningと、単なるセンセーショナルな存在との大きな違いでもある。

 

2006年の失踪と「新ボーカルGhoul」

そんなShiningのイメージを決定的なものにしたのが、2006年から2007年にかけて起こった一連の出来事だった。

2006年夏、Kvarforthが消息を絶つ。

8月23日、Shining側は公式声明を発表し、Kvarforthと約4週間連絡が取れていないこと、彼が死亡した可能性も否定できないことを明らかにした。さらに、本人に近い人物から届いたという手紙によって、Kvarforthが自身の後任として“Ghoul”という新しいボーカリストを指定していたことも発表された。

当時の声明では、バンドのメンバー自身もGhoulには会ったことがなく、手紙を通じて連絡を取っているだけだと説明されていた。

Kvarforthが本当に死亡したのか。

単に行方をくらませているのか。

そしてGhoulとは誰なのか。

しばらくの間、その状態が続いた。

そして2007年2月3日、Shiningは地元ハルムスタッドのDiezelでライブを開催する。この日は新ボーカリストGhoulが初めて公の場へ姿を現すライブとして告知されていた。

しかし、ステージに現れた人物の正体はKvarforth自身だった。

動画では、この流れを「Kvarforthが自分の死を偽装した」と表現している。少なくとも結果だけ見れば、長期間の失踪、死亡説、謎の後任ボーカリストという物語が作られ、その最後にKvarforth本人が戻ってくるという極端な演出になった。

ただし、当時のバンド声明が最初からどこまで計画された演出だったのか、それぞれのメンバーがどの時点で何を知っていたのかについては、後年の記事によっても細部が曖昧な部分が残る。そのため「全員が最初から死亡を偽装する計画に参加していた」とまで断定するより、ShiningがKvarforthの死亡説とGhoulという存在を最終的に巨大な復活劇へ転換したと見る方が正確だろう。

当時に関する記事 : https://metalstorm.net/events/news_comments.php?news_id=3112

 

『Halmstad』以降、過激さだけでは終わらなかったShining

普通のバンドなら、この出来事だけで活動そのものが崩壊していても不思議ではない。

しかしShiningはその後も活動を続けた。

2007年に『V – Halmstad』、2009年に『VI – Klagopsalmer』、2011年には『VII – Född Förlorare』、2012年には『Redefining Darkness』を発表。2015年の『IX – Everyone, Everything, Everywhere, Ends』、2018年の『X – Varg Utan Flock』を経て、2023年には11枚目となるセルフタイトル作『SHINING』をリリースしている。

動画でも、2007年以降のShiningについて「同じ作品を繰り返しているだけではない」と評価している。

核にあるのは依然として暗く沈んだブラックメタルだが、ギターソロ、アコースティックな展開、ロック的なリズム、プログレッシブな構成などを継続的に取り込んできた。特に2015年の『IX – Everyone, Everything, Everywhere, Ends』について、投稿者はそれまでの作品よりもロック的な感覚やバンドが実際に演奏を楽しんでいるような躍動感が感じられる作品として挙げている。

現在までその活動は続いている。2024年には過去のデモ音源を異なるボーカリストと再構築した『Feberdrömmar (Del Ett)』を発表し、2025年12月にはその続編『Feberdrömmar (Del Två)』をリリース。後者ではSighの川嶋未来らを含む複数のゲスト・ボーカリストを迎え、各楽曲の歌詞をそれぞれの母国語へ作り変えるという実験的なアプローチを行っている。

1996年に12歳の少年が始めたプロジェクトが、約30年後にも新たな形で過去の楽曲を再構築している。

この継続性を考えると、Shiningを「過激なライブをするバンド」だけで説明するのは明らかに不十分だ。

 

Shiningを評価するとき、音楽と“伝説”をどう見るべきか

Niklas Kvarforthには、事実と伝説、本人の発言と意図的な演出が混ざり合ったエピソードが非常に多い。

その極端さこそShiningという存在を広めた要因である一方、そこだけに注目すると、このバンドがなぜ30年近く作品を作り続け、DSBMの重要バンドとして名前を残したのかが見えなくなる。

初期作品では、暗く反復的なブラックメタルを演奏していた。そこへ徐々にテンポの変化、アコースティック・パート、クラシカルな要素、ギターソロ、プログレッシブな構成を持ち込み、『The Eerie Cold』『Halmstad』の頃にはかなり独自の音楽へ変化している。

さらにその後も、単に2007年の成功作を再生産するのではなく、ロックやゴシック、クラシックなどの要素を吸収しながらShiningとしての暗さを維持してきた。

動画の投稿者も最終的には、DSBMというジャンルそのものを好むかどうかとは別に、Shiningには明確なミュージシャンシップが存在すると評価している。これはShiningを見るうえで重要な部分だろう。Kvarforthの過激な言動を肯定する必要はないし、現実の自己破壊をブラックメタルらしさとしてロマンティックに扱う必要もない。

しかし、そうした人物が生み出してきた音楽そのものを分析すれば、ShiningがDSBMを単なる低音質、反復、絶望感だけの音楽から、より広い表現へ押し広げたバンドの一つであることも見えてくる。そして2006年の失踪と2007年のGhoul事件は、その音楽以上に肥大化してしまった「Niklas Kvarforth」というキャラクターを象徴する出来事だった。

死亡説まで巻き込んだ異常な復活劇から約20年。Shiningは消えなかった。むしろ、バンドを取り巻くセンセーショナルな逸話が少しずつ過去のものになった現在だからこそ、『The Eerie Cold』『Halmstad』をはじめとした作品そのものが、改めてこのバンドの本質として残り続けているのかもしれない。

参照元動画

「He Faked His Own Death」

「誰でも自分より上手いボーカリストになれる」Will Ramosが語る15年の試行錯誤と若い世代へのメッセージ

Lorna ShoreのWill Ramosは、現在のエクストリーム・メタルを代表するボーカリストの一人だ。

低く巨大なグロウル、鋭いハイ、トンネル・スロートをはじめとする特殊な発声を自在に行き来し、「To The Hellfire」をきっかけにその声は世界中で注目された。しかし本人の話を聞いてみると、その出発点は専門的なボーカル教育でも、デスメタルへの強烈な憧れでもなかった。中学生の頃、同級生が教室でギターを弾いているのを見たこと、友人から渡されたヘヴィ・ミュージックのリストを聴いたこと、そして自宅のシャワーで、好きな曲に合わせて何度も叫んでいたこと。

動画「My Story As Metal Frontman Will Ramos (Lorna Shore)」では、Willがどのようにメタルへ入り、ギターからボーカルへ転向し、長い独学期間を経て現在の発声へ辿り着いたのかを詳しく語っている。

興味深いのは、現在では技術的なボーカリストとして知られるWill自身が、若い頃の学び方を決して理想的だったとは考えていないことだ。むしろ「自分と同じやり方をするな」とまで話している。

 

始まりは「Crazy Train」を弾く同級生

Willがロックへ興味を持ったのは中学生の頃だった。

8年生のクラスに、ギターを持ってきた生徒がいた。その彼がOzzy Osbourneの「Crazy Train」を弾く姿を見て、「人生で見た中で一番格好いい」と衝撃を受けたという。そこからWill自身もギターを始め、クラシック・ロックを中心に音楽を掘り下げるようになった。

本格的にヘヴィ・ミュージックへ入ったのは14歳頃。ギターを通して知り合った友人たちが、Bullet For My Valentine、Lamb of Godなどを演奏していることを知り、それまで聞いたことのなかったバンドをまとめたCDやリストを渡された。

ただし、最初からすぐ好きになったわけではない。

むしろ「重すぎる」と感じ、最初は受け入れられなかったという。

それでも繰り返し聴いているうちに耳が慣れ、次第にその世界から抜け出せなくなった。

現在ではLorna Shoreで極端なデスコアを歌う人物が、「最初はヘヴィすぎて好きではなかった」というのは面白い。

エクストリーム・メタルは、一度聞いただけでは理解できなくても、何度も触れているうちに音の中の構造が見えてくることがある。Will自身も、まさにその過程を通ってきた。

 

ボーカルの始まりは、やはりシャワーだった

Willはギターだけでなく、子供の頃からさまざまな楽器に触れていた。

歌うことも好きだったが、自分では決して上手いと思っていなかったという。

そこからヘヴィ・メタルへ入っていくにつれ、自宅のシャワーで新しく知ったバンドの曲に合わせて歌うようになった。

当時はiPodを大型スピーカーへ差し込み、大音量で音楽を流していた。

普通に歌っていたものが、いつの間にかスクリームへ変わっていった。

本人も「最初に何をやったのかはもう覚えていない」と話すほど自然な流れだったという。

転機になったのは、Willをメタルへ引き込んだ友人が、その声を偶然聞いたことだった。

Willがシャワーから出ると、その友人から「結構いいじゃん。続けた方がいい」と言われた。

それまでギターを中心にしていたWillは、その言葉をきっかけに少しずつギターから離れ、ボーカルへ集中していく。

14歳頃のことだった。

 

Lamb of Godを真似するところから始まった

最初から「Will Ramosの声」が存在したわけではない。

初期に強く真似していたのがLamb of Godだった。

Randy Blytheをはじめ、好きなボーカリストがどのように声を出しているのかをひたすら聴き、同じ音を再現しようとしていた。

誰かが異常な高さのスクリームを出していれば、「人間が出せるなら、自分にも何らかの方法でできるはず」と考える。

そして、できるまで何度も試す。

Willは長い間そうした模倣を続け、そこから徐々に自分の声を作っていったという。

現在のような明確な自身のスタイルを意識するようになったのは、むしろここ数年のことだと話している。

Willにとって模倣は、オリジナリティの反対ではなかった。

他人の技術を理解するための方法だった。

いくつもの発声をコピーしようとした経験が積み重なり、その中から自分が好きな響きを選び取る。

それが現在のWill Ramosの異常なまでに広いボーカル・レンジにつながっている。

 

「誰でもボーカリストになれる」

Willは、極端なスクリームや低音について「特別な人間だけが出せる声」だとは考えていない。

十分に練習すれば、誰にでも可能性があるというのが本人の考えだ。

もちろん一日でできるわけではない。

何時間も試して失敗する。

翌日また試して失敗する。

それを何週間も繰り返す。

その過程で、声のどこをどう動かせば特定の音になるのかを少しずつ理解していく。

そして一つの技術を掴めば、それを基準に次の技術を理解しやすくなる。

Willはボーカルについて、「自分の声にどれだけ慣れることができるか」が重要だと説明している。

例えばInfant Annihilatorで耳にした特殊な発声に挑戦した際には、既にそれまで多くの発声を試していたため、比較的短時間で再現できたという。

単純に才能だけで突然出せたのではなく、以前の失敗や模倣がすべて土台になっていた。

 

ただし「自分と同じ学び方はするな」

一方、Willは独学を美談にはしていない。

若い頃はボーカル・コーチへ行ったこともなく、自分の身体を使ってひたすら試行錯誤していた。

本人はそれを、「隣の部屋へ行くためにドアを使わず、何度も壁へ頭をぶつけ、最後には壁を破壊して進んだ」ようなものだと例えている。

正しい入口を教えてくれる人がいなかったため、痛ければ休み、翌日にまた試す。

それを繰り返して、自分なりの方法を見つけていった。

その結果、現在では身体が「良くない感覚」を覚えている。

喉に痛みを感じる。

必要以上に大きな声で押している。

間違った場所から力を入れている。

そうした感覚が出れば、過去の経験から「これはやめた方がいい」と判断できる。

しかし、そこまで辿り着くために長い時間がかかった。

だからこそ、動画終盤で若いボーカリストへのアドバイスを求められたWillは、最初の一言として「ボーカル・トレーナーを見つけろ」と答えている。

自分が15年かけて覚えたことを、わざわざ同じ遠回りで学ぶ必要はないという。

 

カメラで喉を確認し「間違っていなかった」と安心した

Willは過去に、発声中の喉を内視鏡のようなカメラで観察する企画にも参加している。

その経験によって新しい技術を覚えたわけではなかったが、自分の発声を長年続けても声の状態が良好だと確認できたことは、大きな安心材料になったという。

本人も、それまでは「感覚としては問題ないけれど、本当に身体に問題はないのか」という疑問を持っていた。

実際に観察した側から健康状態に問題がないと言われたことで、自分が積み重ねてきた発声への自信につながった。

ただし、これはWill本人の経験についての話であり、同じ発声を真似すれば誰にとっても安全という意味ではない。

本人自身が後に「最初から指導を受けた方がいい」と話していることも含め、独学で無理に再現するための指南として捉えるべきではないだろう。

 

Lorna Shoreでセットが長くなり、発声そのものを変えた

ローカル・バンド時代と、現在のLorna Shoreではライブの条件がまったく違う。

以前なら短いセットで済んでいたものが、現在ではヘッドライナーとして1時間を超えるライブを行うこともある。

それによってWillは、自分の発声を「少し抑える」必要が出てきたという。

しかしこれは、迫力を落とすという意味ではない。

以前は「この声を出すには、これくらい全身を使わなければならない」と思い込んでいた。

実際には、身体全体を締め付けたり、大きく顔を歪めたりしなくても、同じような音は出せる。

よりリラックスし、身体を消耗させずに同じ声を作る。

ライブが長くなったことで、そこを学ばなければツアーを続けられなくなった。

Willは練習後にも、その日の出来だけで判断しない。

重要なのは翌日だという。

練習中に良い声が出ても、翌日に強い疲労や違和感が残れば、その方法には問題がある可能性がある。

反対に、長時間歌った翌日も状態が良ければ、自分の技術がより効率的になっている証拠になる。

 

25分なら「To The Hellfire」でウォームアップすることも

Willのライブ前ルーティンも、セットの長さによって変わる。

Parkway Driveとのツアーで持ち時間が約25分だったときには、本格的なウォームアップをせず、最初の「To The Hellfire」を歌いながら声を温めることもあったという。

しかし約1時間20分のセットとなれば話は別だ。

その場合は明確なウォームアップ・ルーティンを組み、加湿器、ボーカル用のアイテム、さまざまなお茶などを持ち込む。

長いツアーを最後まで維持するため、ステージ前から声を管理する必要がある。

Lorna Shoreのステージを見ると、Willの発声はほとんど限界まで身体を酷使しているように聞こえる。

しかし現在の本人が目指しているのはむしろ逆で、どれだけ無駄な力を使わずに同じサウンドを再現できるかだ。

 

『Pain Remains』で多彩な声を使えた理由

『Pain Remains』では、低音、高音、トンネル系の発声など、Willのさまざまな声を聞くことができる。

それらをレコーディングする作業は難しかったのか。

Willは「自然に出てくる」と答えている。

すでに多くの発声方法を身につけているため、曲を聞けば「ここではこの声が合う」と直感的に選べる。

バンドから違うものを求められれば、別の声へ切り替える。

本人いわく「ほかにも15種類くらい声がある」ため、その場で別の選択肢を出せるという。

つまりWillのボーカルは、曲を書いたあとに特殊な音を貼り付けているわけではない。

ギタリストが複数の奏法から楽曲に合ったものを選ぶように、自分の声の中に複数の「音色」があり、その場面に合うものを使っている。

長年さまざまなボーカリストを真似し続けてきた経験が、ここで一つの楽器として機能している。

 

「スクリームも結局は歌」

Willは、クリーン・ボーカルを上達させることがスクリームにも良い影響を与えたと話している。

本人の感覚では、歌とスクリームは完全に別のものではない。

身体の同じ領域を使い、そこから一部の使い方を変えることでスクリームになる。

そのため、本人はエクストリーム・ボーカルについて「harsh singing=荒い歌唱」と捉えている。

これは医学的な発声理論を説明しているのではなく、Will自身が長年歌ってきた中で得た感覚だ。

ただ、現在のWillが「奇妙な音を出す技術」としてスクリームを考えているのではなく、歌唱の延長線上にある表現として扱っていることはよく分かる。

 

ツアーでは何を避けるのか

長いツアーを乗り切るため、Willは食事や生活にも一定のルールを設けている。

ライブ前には辛いものを避け、喫煙もしない。

コーヒーやカフェインを含む飲み物も、本番直前には避けるという。

さらに長い連続公演が続く場合には、アルコールも可能な限り控える。

ただし動画中には、カフェイン、喫煙、蜂蜜などが声帯へ与える影響についてWill自身の説明がいくつか含まれている。この部分は医学的助言ではなく、あくまで本人がツアー生活の中で実践している自己管理として捉える必要がある。

興味深いのは、Willがステージ後の行動をかなり重要視している点だ。

ライブで声を使い切ったあと、騒がしいバーへ行き、大声で友人と会話する。

本人によれば、これが翌日の声へ大きく影響することがある。

ライブ自体は問題なく終えていても、その後の会話で無意識に声を張り上げてしまい、結果的に喉を疲労させる。

だから「休む時間になったら、本当に休む」。

派手な発声技術だけではなく、こうした地味な管理もツアーを続けるうえでは欠かせないと考えている。

 

母親は「息子がシャワーで苦しんでいる」と思っていた

Willがシャワーで毎日のようにスクリームを練習していた頃、それを聞いていた母親はまったく違う受け止め方をしていた。

「息子が苦しんでいる」と思っていたという。

しかし毎日同じことが続くため、やがて「どうやら痛がっているのではなく、ヘヴィ・メタルのために叫ぶ練習をしているらしい」と理解した。

プエルトリコ系の家庭で育ったWillの母親はサルサなどを好み、息子がヘヴィ・メタルへ進んでいくことを当初は歓迎していなかったという。

Willは自分自身を笑いながら「Heavy Metal Puerto Rican」と表現している。

シャワーで奇妙な声を出して母親を困惑させていた少年が、やがてその声で世界各地をツアーするようになる。

Willのキャリアを考えると、このエピソードはかなり象徴的だ。

 

Job For A Cowboy、Lamb of God、Killswitch Engage、In Flames

若い頃に好きだったボーカリストやバンドとして、Willはいくつもの名前を挙げている。

Job For A Cowboy。

Lamb of God。

Killswitch Engage。

In Flames。

AFI。

YouTubeで次々と新しいバンドを探し、特定のジャンルだけに絞らず、とにかく大量の音楽を聴いていた。

中でもIn Flamesへの思いは強い。

Anders Fridénについて「最高」と話し、後にはLorna ShoreとしてIn Flamesと共演し、メンバーやその家族とも交流できたことを嬉しそうに振り返っている。

好きだったアーティストと実際に仕事をするようになり、その人物たちが人間としても良い人たちだったことを知れたのは特別な経験だったという。

前回のWill RamosのQ&Aでも、特別なアルバムとしてIn Flames『A Sense of Purpose』を挙げ、共演したい相手としてAnders Fridénの名前を出していた。

In FlamesがWillの音楽的ルーツにとってかなり重要な位置にあることが、今回のインタビューでも改めて分かる。

 

Howard JonesかJesse Leachか

Killswitch Engageについては、Howard JonesとJesse Leachのどちらが好きかという質問も出ている。

Willは簡単には選べないとしながらも、自分がメタルへ入り始めた時期の影響から、聴いた回数ではHoward Jonesの方が多いと話している。

ちょうど「Holy Diver」のカバーが出た時期でもあり、当時の自分に強く刺さっていた。

しかし、それを「Howardの方が優れたボーカリスト」という意味にはしたくないとも説明する。

Will自身、ボーカリスト同士に単純な優劣はないと考えている。

それぞれに固有の声があり、それが重要だという。

他人の声を真似し続けるところからキャリアを始めたWillが、最終的に「それぞれの声そのものに価値がある」と考えるようになったことも興味深い。

 

「最初から先生を見つけろ。そして絶対にやめるな」

インタビューの最後、これからスクリームを始める若いボーカリストへ向けて、Willは二つのことを伝えている。

まず、指導者を見つけること。

自分のように15年かけて痛みと失敗を繰り返しながら覚える必要はない。

最初から適切な方法を教えてくれる人がいるのであれば、その方が圧倒的に効率がいい。

そしてもう一つが、練習をやめないこと。

発声も筋肉の記憶のようなもので、続けることで身体へ馴染んでいく。

Will自身、何度もスクリームへ戻り、練習を続けてきたから現在がある。

そして最後には、自分と同じくらい、あるいは自分よりも優れたボーカリストが今後もっと出てきてほしいと話している。

自分の技術を特別な才能として囲い込むのではない。

誰かが自分を追い越していくことを歓迎している。

それこそがWill Ramosのボーカルに対する考え方なのだろう。

 

15年間の「真似」がWill Ramosの声になった

Will Ramosの声を聞くと、生まれつき普通の人とは違う声帯を持っていたかのように感じることがある。

しかし本人が語るキャリアは、もっと地道だ。

最初はメタルを重すぎると感じていた。

ギターを弾いていた。

シャワーでLamb of Godを真似した。

友人から「悪くない」と言われてボーカルを続けた。

何度も失敗し、声を疲れさせ、別の方法を試した。

好きなボーカリストの声を聞けば、それをどうやって出しているのか考えた。

そして約15年かけて、その大量の模倣と失敗が「Will Ramosの声」になった。

現在はLorna Shoreで1時間を超えるセットを歌うため、むしろ力を抜く方法を学んでいる。

最初は「どれだけ強く出せるか」を探していた人物が、今では「同じ音をどれだけ楽に出せるか」を考えている。

そこには、エクストリーム・ボーカルを単なる奇抜な音ではなく、一つの楽器として理解していく長い過程がある。

だからWillが最後に「誰でも自分より上手くなれる」と話すことにも説得力がある。

彼自身が、自分の声を最初から持っていたわけではないからだ。

聞く。

真似する。

失敗する。

休む。

また試す。

そして続ける。

現在のWill Ramosを作ったのは、その繰り返しだった。

参照元動画

「My Story As Metal Frontman Will Ramos (Lorna Shore)」

「MySpaceがなければBring Me The Horizonは存在しなかった」Oli Sykesが振り返る2000年代シーンとデスコア黄金期

2000年代半ば、MySpaceを中心に爆発的に広がったシーンカルチャー。

タイトなジーンズ、派手な髪型、メタルとハードコア、ポップカルチャーが奇妙な形で混ざり合い、Bring Me The Horizon、Suicide Silenceをはじめとする新世代のバンドがインターネットから急速に人気を獲得していった。

現在では世界最大級のロック/メタル・バンドとなったBring Me The Horizonだが、Oli SykesはNick Nocturnalとのインタビューで「MySpaceとあの文化がなければ、Bring Me The Horizonはここまで来られなかった」と振り返っている。

彼らは業界から選ばれて成功したバンドではなかった。

むしろ最初は嫌われ、ファンの力によって音楽メディア側が無視できなくなったバンドだったという。

 

最初から「デスコアを作ろう」としたわけではなかった

Oliによれば、初期Bring Me The Horizonは「デスコア・バンドになろう」と考えて結成されたわけではない。

そもそも当時はデスコアという名称自体が現在ほど定着しておらず、むしろその呼び方を嫌うミュージシャンも多かったという。ギタリストのLee MaliaとCurtis WardはMetallica、Pantera、At The Gatesなどを好むメタル寄りのリスナーだった。

一方、OliとMatt NichollsはNorma Jean、Poison The Well、The Dillinger Escape Planなど、アメリカのハードコア/ポストハードコアから強い影響を受けていた。

その二つの音楽的背景が同じバンドへ入ったことで、Bring Me The Horizon初期のサウンドが自然に形成されていった。

Oli自身、Leeから初めてAt The Gatesを聴かされ、そのリフに強烈な衝撃を受けたことを覚えているという。

 

自宅のバスルームでボーカルを録音していた

初期の彼らにはレコーディングに関する知識もほとんどなかった。

最初期の音源制作ではOliの自宅を使い、「バスルームならリバーブがあって声が良く聞こえるだろう」という理由でボーカルを録音したという。

吸音するという発想ではなく、シャワーで歌うと気持ちよく響くのだから、その反響をそのまま録音すれば良いと考えていた。

完成した音源を聴いたメンバーは、あまりの出来に「これは売れない」と判断した。すでに約500枚分のCDケースまで用意していたにもかかわらず、販売することをためらうほどだった。そこで、ちょうど広がり始めていたMySpaceへ「とりあえず置いてみよう」と公開する。

その音源が予想外の反応を生み出した。

 

「自分たちにもできそう」だったことが人気につながった

Oliは初期Bring Me The Horizonが若者から支持された理由について、「手が届きそうだったからではないか」と分析している。

現在の完成されたスターとは違い、当時の彼らは友人同士でガレージに集まり、好きな音楽をそのまま鳴らしているようなバンドだった。若いファンから見れば、「自分も友達とバンドを組んだら、こんな音楽を作るかもしれない」と思える。高額なスタジオも、巨大なレコード会社も必要ない。

自分にもできるかもしれないという距離感が重要だったのではないかという。

Oliは、現在のYouTuberやハイパーポップなどにも似た魅力があるのではないかと考えている。完成度だけではなく「自分でもこの世界へ入れる」と感じられることが、若い世代を引きつける。

 

音楽以上に巨大だった「シーンカルチャー」

Oliが2000年代を振り返るとき、実際のアルバム制作以上に強く記憶へ残っているのは、その周囲に存在した文化だという。

Warped Tour、特徴的な髪型、極端に細いパンツ、鮮やかなTシャツ、メタルとヒップホップ的なファッションが混ざったスタイル。現在見ると「ひどい格好だった」と笑いながらも、そこには強烈な自由があったと振り返る。

重要なのは、それが過去のカルチャーを単純に再利用したものではなく、当時の若者から自然に生まれた新しい世界だったという点だ。その後シーン的なファッションや音楽は一時的にメインストリームにまで浸透した。

Oliにとって、あれほど急速に独自の文化が生まれ、世界規模まで広がった時代は非常に特別だった。

 

MySpaceは「音楽を選ぶ権利」をリスナーへ渡した

その革命の中心にあったのがMySpaceだった。

それ以前、新しい音楽を知るにはKerrang!やMetal Hammerなどの雑誌や既存メディアの影響力が大きかった。しかしMySpaceでは、リスナー自身が好きなバンドを見つけ、その場で音源を聴き、直接応援できた。

Oliは自身のアパレル活動についても同じ感覚があったと話している。大手ショップの商品を買うのではなく、自室でTシャツを作っている若者から直接購入する。

音楽でも同じように、「メディアから推薦されたものを聴く」のではなく、「自分で発見したバンドを支持する」ことが可能になった。この変化によって、既存メディアが評価していなかったバンドにも道が開かれた。

 

「ファンが雑誌にBring Me The Horizonを書かせた」

Bring Me The Horizonは活動初期、音楽業界や一部メディアから歓迎されていたわけではなかった。

むしろOliは「自分たちはすごく嫌われていた」と振り返る。

それでも若いファンからの人気が急拡大し、最終的には雑誌側が無視できなくなった。メディアがBring Me The Horizonを人気バンドにしたというより、ファンが支持を拡大し、メディアに「このバンドを掲載しなければならない」と思わせたという認識だ。

だからこそOliは、「MySpaceがなければBring Me The Horizonは存在しなかった」とまで話している。20年以上が経った現在、彼らが『Count Your Blessings』へ戻ることは単なるアルバムの周年企画ではない。

Bring Me The Horizonというバンドそのものを生み出した、MySpace、scene、DIYインターネット文化へ戻ることでもある。

 

シーンは再び戻ってくるのか

現在はニューメタルが若い世代から再評価され、Linkin Park、Limp Bizkit、Slipknotなどが再び巨大な影響力を持っている。同じように2000年代メタルコアやデスコアへのノスタルジーも強くなっている。

インタビューでは、シーンも20年周期で再び大きな注目を浴びる可能性があるという話になる。しかしOliがより興味を持っているのは、単純なリバイバルではない。

「あれほど完全に新しい文化が、もう一度生まれることはあるのか」という問いだ。

過去を再現するのではなく、それ以前に存在しなかった何かを若者たちが自分たちだけで作る。Oliにとって2000年代sceneの本当の魅力は、髪型や音楽ジャンルそのものではなく、その自由さと発見の感覚にあったようだ。

参照元動画

「OLI SYKES on Count Your Blessings Repented, Sempiternal & Deathcore Era」

Lorna ShoreのボーカリストWill Ramos、その素顔とは? 音楽、バンド、猫、車、日本までファンの質問に答える

Lorna Shoreのボーカリストとして、現代デスコアを代表する存在の一人となったWill Ramos。圧倒的なスクリームやグロウル、ステージ上での存在感が注目される一方、本人のYouTubeチャンネルでは、そのイメージとはかなり違った親しみやすいキャラクターを見ることができる。

動画「ANSWERING YOUR INSTAGRAM QUESTIONS」では、Instagramでファンから募集した質問にWillが次々と回答。好きな音楽、共演してみたいアーティスト、Lorna Shoreの名前の由来、ツアー中のボーカル管理、日本で楽しみにしていること、車、ゲーム、猫、さらには自分が人生で最も大切にしているものまで、かなり幅広い話題に触れている。

質問の中にはかなりくだらないものもあり、本人もジョークを交えながら答えている。しかし全体を通して見ると、Will Ramosがどのような音楽から影響を受け、現在どんなことを大切にしながらLorna Shoreを続けているのか、その人物像が意外なほどよく見えてくる。

参考動画 : https://www.youtube.com/watch?v=EpUd2v-1KKo

 

Oli Sykes、Sleep Token、In Flames――Will Ramosが共演したい5組

音楽ファンとして特に興味深いのが、「コラボレーションしてみたい5組」を聞かれた場面だ。

Willが挙げたのは、The Band CAMINO、Still Woozy、Bring Me The HorizonのOli Sykes、In Flames、そしてSleep Token。現在のLorna Shoreからイメージしやすい名前もあれば、かなり意外なものも含まれている。

Oli Sykesについては迷う様子もなく名前を挙げ、In FlamesについてはボーカリストAnders Fridénへの強い愛情を理由にしている。そして最後にSleep Tokenを選び、「Sleep Tokenが好きじゃない人なんている?」という感覚で話している。

この回答だけでも、Willの音楽趣味がデスコアだけに閉じていないことが分かる。

The Band CAMINOのようなポップ/オルタナティヴ寄りのバンドや、Still Woozyのようなインディー・ポップ系のアーティストまで候補に含まれている。Lorna Shoreで聴かせる極端なボーカルだけを見ていると想像しにくいが、Will自身はかなり広い範囲の音楽に興味を持っている。

 

特別なアルバムはIn Flames『A Sense of Purpose』

「人生の中で特別なアルバム、あるいは楽曲は?」という質問に対し、Willが選んだのはIn Flamesの『A Sense of Purpose』だった。理由も非常にシンプルで、アルバム全体のリフが素晴らしく、自分にとって最高の作品だからだと話している。

共演したい相手としてIn FlamesとAnders Fridénを挙げていたことを考えても、Willの中でIn Flamesがかなり重要な存在であることが分かる。

Lorna Shoreの現在の音楽は、シンフォニック・ブラックメタル的なスケール感とデスコアを組み合わせたスタイルで知られている。しかしWill個人のルーツを追うと、メロディック・デスメタルを含む幅広いヘヴィ・ミュージックから影響を受けてきたことが見えてくる。

 

初めて行ったメタルライブはMotionless In White

Willが初めて足を運んだメタルのライブは、ニュージャージーのStarland Ballroomで観たMotionless In Whiteだったという。時期について本人は2010年か2011年頃だったと記憶している。

現在ではLorna Shoreとして世界各地の巨大なフェスティバルへ出演するWillだが、そのスタート地点には、他の多くのメタルファンと同じように「好きなバンドをライブハウスへ観に行く」という経験があった。

さらに高校時代には髪をストレートにし、巨大な前髪を作ったいわゆるscene kid的な髪型もしていたという。本人は現在振り返って「あれはひどかった」と笑っているが、その後髪を伸ばし、自身のカーリーヘアを生かしながら現在のスタイルへ変化していった。

Will Ramosという人物も、突然現在の姿で現れたわけではない。2000年代後半から2010年代初頭のメタルコア/sceneカルチャーを通ってきた世代の一人だ。

 

ラテン系の家庭ではメタルを嫌がられていた

現在ではメタルを仕事にしているWillだが、家族が最初からその文化を歓迎していたわけではなかった。「ラテン系の家庭でメタルを聴いていて、家族から変な目で見られなかった?」という質問には、即座に「もちろん」と回答。家族からはメタルも、ピアスも、タトゥーも好まれていなかったと冗談交じりに振り返っている。

現在のWillは、巨大な耳のピアスやタトゥーを含めて視覚的にも非常に特徴的なフロントマンだ。しかし、それらも最初から周囲に受け入れられていたわけではない。scene kidとして髪を伸ばし、メタルへ入り込み、ピアスを増やしていった若者が、そのまま自身の好きな文化を突き詰めた結果として現在のWill Ramosがいる。

 

なぜ音楽が好きなのか――「自分自身を外へ出せる」

「なぜ音楽が好きなのか」という非常にシンプルな質問には、Willの価値観がよく表れている。

本人にとって音楽は、人間が自分自身を外へ表現するための最も優れた方法の一つだという。人によっては絵を描くかもしれない。しかし自分は絵が得意ではない。だからこそ音楽という表現方法に惹かれている。

Lorna Shoreの音楽は一聴すると非常に劇的で、巨大なオーケストレーション、極端なスクリーム、ブラックメタル的な雰囲気など、多くの要素が重なっている。しかしWill自身の考え方はもっと単純だ。音楽は、自分の中にあるものを外へ出すための方法。技術そのものよりも、まず表現することが中心にある。

 

スクリームやグロウルを発見した場所は「シャワー」

現在のWillは、エクストリーム・ボーカルの技術について解説する動画にも多数出演し、その発声方法自体が研究されるほどの存在になった。しかし「どうやって自分がスクリームやグロウルをできることに気付いた?」という質問への回答は、非常に素朴だ。

長年、シャワーの中で叫んだりグロウルしたりしていた。それだけだったという。最初から専門的なトレーニングを受けて現在の発声へ辿り着いたわけではなく、好きだから繰り返していたところから始まっている。

Lorna Shore加入後、「To The Hellfire」をはじめとする楽曲でWillのボーカルは世界的に注目されるようになったが、その原点は自宅のシャワーで何度も声を試していた若者だった。

 

ツアー中は「飲まない、吸わない」

一方、現在はプロのボーカリストとして、自分の声を維持することにもかなり気を使っている。

「ツアーはどんな感じ? どうやって声をケアしている?」という質問にWillがまず答えたのは、ツアー中はパーティーをしないということだった。若い頃には飲んだり遊んだりすることも格好いいと思っていた。しかし翌日に声の状態が悪くなる経験を重ね、現在はツアー中に酒を飲まず、喫煙もしないという。

ステージ上では人間離れした声を出しているように聞こえるが、そのパフォーマンスを毎晩維持するには、むしろかなり地味な自己管理が必要になる。極端なボーカルほど「力任せ」というイメージを持たれやすい。しかし、連日のライブを成立させるためには、ステージ外でどれだけ余計な負担を避けられるかも重要になる。

なお、動画内では喫煙と声帯についてWill自身の説明もあるが、これは本人の経験に基づいた発言であり、医学的な解説としてではなく、本人がツアー中に避けている理由として受け取るべきだろう。

 

Lorna Shoreの今後について「とにかく続けていきたい」

「Lorna Shoreの次は?」という質問に対して、Willは巨大な計画を語ることはなかった。

むしろ「とにかく何とか続けている」という非常に現実的な言葉を使っている。ファンが音楽を聴いてくれる限り、自分たちは曲を作り続け、世界中でライブを続ける。それが答えだった。Lorna Shoreほど急速に規模を拡大したバンドであれば、「さらに上へ」「次はもっと巨大な場所へ」といった話になっても不思議ではない。

しかしWillの言葉から感じられるのは、成功を当然のものとして扱っていない姿勢だ。

音楽を作れることも、ツアーへ出られることも、聴いてくれる人がいるから成立している。その状態を維持できる限り続けたいという、かなりシンプルな考え方をしている。

 

日本で楽しみにしているのは、やはりラーメン

日本についての質問も登場する。

「日本でコンサート以外に何を楽しみにしている?」と聞かれたWillの回答は、ほとんど迷うことなく「ラーメン」だった。実は少し前の質問でも、好きなファストフードを聞かれてラーメンと回答している。

本人も「ラーメンをファストフードと呼んでいいのか分からない」と話しながら、それでも好きな食べ物として挙げている。

デスコア、巨大なステージ、極端なボーカルといった話が続く中、日本について聞かれた瞬間に話題がラーメンへ着地するあたりも、この動画のWillらしいところだ。

 

ドリフトにハマったきっかけは、一度助手席に乗ったこと

音楽以外でWillがかなり夢中になっているものが車だ。

以前Volkswagen GTIに乗っていたことから、現在のGolf Rを選んだことも話しているほか、好きな車としてクラシックなPorsche 911を挙げている。中でも大きな趣味になったのがドリフトだった。

友人に誘われてサーキットへ行き、ドリフト車の助手席へ乗せてもらったところ、それがあまりにも強烈な経験だった。そして約2週間後には、自分のドリフト用車両を購入していたという。

Willの話を追っていると、何かを好きになるとかなり深く入り込むタイプであることが分かる。メタルも、ボーカルも、車も同じだ。興味を持ったら眺めているだけでは終わらず、自分でやってみる。

 

Minecraft、猫、ネズミ――ステージ外ではかなり普通の人

Willが現在好きなゲームとして挙げているのはMinecraft。

子供にも勧めたいほど好きだと話し、ゲームの中で回路などを自然に学べる点まで熱弁している。猫について聞かれれば「猫が大好きだから」と即答し、ネズミについても小さな手がかわいいと熱弁する。さらに自身のRat Clubというブランド/コミュニティのルーツについても説明している。

パンデミック中、友人のフォトグラファーが家に閉じ込められている人々を撮影する企画を行っていた際、以前バンド活動用に購入していたフード付きのローブをルームメイト全員で着て写真を撮影。それが「Order of the Rats」へ発展し、最終的にRat Clubという現在のブランドへつながっていったという。

Lorna ShoreでのWillだけを見れば、怪物的な声を持つデスコア・ボーカリストという印象が強い。しかし本人のチャンネルを見ると、そのイメージとの差はかなり大きい。猫が好きで、Minecraftを遊び、車に夢中になり、ラーメンを食べたがり、友人とくだらないことをする。そのギャップも、Will Ramosという人物が多くのファンから親しまれている理由の一つなのだろう。

 

最後に語った「人生で最も大切なもの」

動画終盤で、かなり本質的な質問が出てくる。

「人生において最も大切にしている価値は何か?」

Willの答えは、音楽でもLorna Shoreでも成功でもなかった。

友人や家族との近い関係。

自分が人生の中で作ってきた人間関係こそ、最も重要なものだと答えている。この答えを聞いたあとで動画全体を振り返ると、Willの人物像が少し分かりやすくなる。

音楽について話すときも、単に成功したいというより「自分を表現できること」を大切にしている。Lorna Shoreについても、巨大な目標を掲げるのではなく、ファンが聴いてくれる限り音楽を作り続けたいと話す。ゲームも、一人で勝つことより友人と遊ぶためのものとして楽しむ。Rat Clubの始まりも、ルームメイトや友人との遊びだった。そして最後に残るのが、人との関係だ。

 

“モンスター・ボーカリスト”の外側にいるWill Ramos

Will Ramosについて語るとき、どうしても最初に話題になるのは声だ。

「To The Hellfire」で世界中を驚かせた極端なボーカル。低音、ハイ・スクリーム、さまざまな特殊発声。Lorna Shoreが世界規模へ成長したことで、その技術はさらに大きな注目を集めるようになった。しかし今回のQ&Aで見えてくるのは、それとは別のWill Ramosだ。

In Flamesを愛し、Oli SykesやSleep Tokenと共演してみたいと思い、scene kidだった過去を笑い、ツアーでは声を守るため酒やタバコから距離を置く。日本へ行けばラーメンを食べたい。ゲームも車も猫も好き。そして人生で最も大切なのは、友人と家族との関係だと考えている。

極端な音楽を作っているからといって、本人まで常に極端である必要はない。むしろWill Ramosの魅力は、ステージ上で聞かせる異常なボーカルと、その外側にいる非常に親しみやすい人間との落差にもあるのだろう。

Lorna Shoreの音楽だけでは見えないWill Ramosを知るうえで、このQ&Aはかなり面白い映像になっている。

 

参照元動画

Will Ramos「ANSWERING YOUR INSTAGRAM QUESTIONS」
https://www.youtube.com/watch?v=EpUd2v-1KKo

Oli Sykesは本当にスクリームで声を壊したのか? 「手術は一度も受けていない」――歌唱を習得するまでの20年

Bring Me The Horizonがデスコアからメタルコア、オルタナティヴ、ポップまで音楽性を拡大していく中で、Oli Sykesのボーカルも大きく変化してきた。

その変化とともに長年語られてきたのが、「Oliはスクリームで声を壊した」「手術を受けたため昔のように叫べなくなった」といった説だ。

しかしNick Nocturnalとのインタビューで、Oli本人はこれを明確に否定している。

20年以上のキャリアで声に問題を抱えた時期はあった。しかし声帯手術を受けたことは一度もなく、スクリームが減った作品についても、必ずしも「できなくなったから」ではなかったという。

 

スクリームの専門用語をほとんど知らない

現在、TikTokやInstagramではエクストリーム・ボーカルの解説コンテンツが急増している。

フォールスコード、フライ、インヘイルなど、発声方法が細かく分類され、若いボーカリストたちが技術として学んでいる。Oliにとって、この文化はかなり新鮮に映るという。

自分がスクリームを始めた頃には、「この発声は何という技術なのか」「どの筋肉を使うのか」と考えたことはほとんどなかった。単純に叫びたいから叫んでいた。

声を傷める可能性についても現在ほど考えておらず、専門的なスクリーム・レッスンを受けた経験もないという。

 

「ボーカル手術を受けたことは一度もない」

Oliについてネット上で長年語られてきた説の一つが、声を壊して手術したというものだ。

しかし本人は「一度もボーカル手術を受けたことはない」と明言している。

声が不調だった時期がなかったわけではない。

『There Is a Hell Believe Me I’ve Seen It. There Is a Heaven Let’s Keep It a Secret.』制作期には、自分が歌えなくなったと感じ、多くの専門家へ相談したこともあった。ただしOli自身、この時期には薬物依存の問題があり、身体へ大きな負担をかけていた。

20年以上に及ぶ活動の中で声帯の損傷を経験したことはあるものの、本人はスポーツ選手が筋肉へダメージを負うことに近いものとして説明しており、それが長年語られてきた「声を完全に壊した」という話とは違うとしている。

 

スクリームが減った=叫べなくなった、ではない

Bring Me The Horizonの音楽性が変化すると、作品によってスクリームの比率も減少した。

すると一部のファンから、「Oliはもう昔のように叫べないから音楽性を変えたのではないか」という見方が生まれた。

Oliはこの考えについて、クリエイティブな判断だった可能性を考えず、ボーカル能力の問題として説明されてしまうことがあると指摘している。

実際には、より難しかったのはスクリームからクリーンボーカルへ移行することだった。

Oliがそれまで身につけてきた「強く押す」「大きな声を出す」という感覚は、歌を学ぶ際にはむしろ邪魔になる部分があった。

スクリームと歌唱では必要な感覚が大きく異なり、その二つを一つのライブで両立できるようになるまでには時間が必要だったという。

 

『Sempiternal』制作時には「音痴だった」

さらに驚くのは、Oli自身がクリーンボーカルを始めた頃について「完全に音痴だった」と振り返っていることだ。

『Sempiternal』制作時、Oliは本格的に歌いたいと考えていた。しかし何度練習してもうまくいかず、Jordan Fishから「もう諦めた方がいいかもしれない」と言われるほどだったという。

その言葉に反発するように声を出したところ、偶然正しい音程を出すことができ、そこから少しずつ歌唱を身につけていった。

現在ではメロディックな歌唱もBring Me The Horizonの重要な要素になっているが、それは最初から持っていた能力ではなかった。

 

約20年前のインヘイルを自分で思い出す

『Count Your Blessings Repented』のレコーディングでは、Oliは初期の特殊なスクリームまで再現する必要があった。

その中にはインヘイルも存在した。(インヘイルは歌唱法の一つ)

しかし現在のOliはその発声を日常的に使っておらず、スタジオで「これはどうやってやっていたんだ?」と自分自身で思い出すところから始めている。

その練習映像をSNSへ公開したところ、発声方法について大量の議論が起こり、一部では再び「Oliは間違った方法で声を壊している」といった話にまで発展した。

本人にとっては、昔使っていた声を思い出しているだけの軽い映像だったため、想像以上の騒ぎに驚いたという。

 

「今も自分の声について学んでいる」

Oliは現在も、自分の声が完成したとは考えていない。

スクリームから始まり、その後クリーンボーカルを学び、両方を一つの音楽の中で使い分けるようになった。

そして『Count Your Blessings』へ戻ったことで、約20年前の自分が無意識にやっていた発声を改めて分析することになった。

本人は「今も自分の声について学んでいるし、良くなっている」と話している。

Bring Me The Horizonが長年音楽性を変え続けてきたのと同じように、Oli Sykesのボーカルもまた、完成された一つの技術ではなく、20年以上続いている試行錯誤の結果なのだろう。

『Count Your Blessings Repented』で再びデスコア・ボーカルへ正面から向き合ったことは、「昔のように叫べない」という長年のイメージに対して、本人なりの答えを示す機会にもなっている。

参照元動画

「OLI SYKES on Count Your Blessings Repented, Sempiternal & Deathcore Era」

Turnstileは『GLOW ON』で何が変わったのか? バンドのギタリストPat McCroryが語る大ブレイク、パンデミック後のライブ、そしてボルチモアのハードコア

2021年に発表された『GLOW ON』によって、Turnstileはハードコアという枠を大きく越えていった。

激しいギターやモッシュを生み出すリズムを残しながら、ドリーミーなサウンド、ポップ、エレクトロニックな質感などを大胆に取り込み、それまでTurnstileを知らなかった層にも急速に浸透。ライブハウスを中心に活動してきたバンドがテレビ番組へ出演し、大型フェスティバルにも進出していく大きな転換点となった。

RRBG Podcastの「EP275 – Pat Mccrory (Turnstile)」では、ギタリストのPat McCroryが、そんな急激な変化の最中にいるTurnstileについて語っている。

『GLOW ON』を作ったときの感覚、パンデミック後にライブへ戻った際の異常なまでの観客のエネルギー、長年ツアーを続けたことで初めて気付いた不安、そして現在もバンドの基盤となっているボルチモアのローカル・シーン。

世界的に知られるようになっても、Patが語るTurnstileの中心にあるのは、依然として「自分たちが興奮するものを作る」「観客と同じ空間でエネルギーを交換する」という、非常にシンプルな感覚だった。

 

『GLOW ON』の成功を予測できていたわけではない

インタビュー冒頭、PatはTurnstileが急激に注目を集めている現在について「かなりワイルドな状況だけど、楽しい」と話している。

『GLOW ON』以前からTurnstileはハードコア・シーンでは大きな存在だったが、この作品によってその知名度はさらに別のレベルへ進んだ。インタビュアー自身も、それ以前にEvery Time I DieとのツアーでTurnstileを見たことはあったものの、『GLOW ON』で初めて強く惹き付けられたと話している。その理由として挙げられているのが、従来のストレートなハードコアだけではない実験的な要素だった。

しかしPatによれば、作品完成後に「これは確実に大きくなる」と分かっていたわけではない。

パンデミックによって世界が止まった直後だったこともあり、人々が再びライブへ戻ってくるのか、新しい音楽がどのように受け取られるのかも分からなかった。ただ、バンド自身は完成した作品を非常に気に入っていた。そのため実際に大きな反響が返ってきたことで、「自分たちが良いと思っていた感覚は間違っていなかった」と確認できたという。

 

「まず自分たち自身を満足させないといけない」

『GLOW ON』には、Turnstileのハードコアとしての攻撃性と、そこから大きく離れた瞬間が同居している。Patはその理由を非常にシンプルに説明する。

まず自分たち自身を満足させること。

自分たちが何に興奮するのかを考えること。

ハードコアは今でも刺激的であり、激しく演奏することは当然楽しい。しかし同時に、テンポを落とし、音に空間を作り、それまでとは違った方向へ進むことにも興奮できる。つまり『GLOW ON』の幅広さは、「ハードコアを捨ててもっと売れる音楽を作ろう」と考えた結果ではなく、メンバー自身が面白いと感じるものを広げていった結果だった。

Patは、怒りや幸福といった感情そのものは、多くのアーティストがこれまで何度も歌ってきたものだとも話している。重要なのは「何について歌ったか」だけではなく、その感情をどのような形で表現し、どのように受け手へ届けるか。

Turnstileが『GLOW ON』で大きくサウンドを広げた背景には、その表現方法を限定しない姿勢があるようだ。

 

『GLOW ON』を作った場所には穏やかな空気があった

インタビュアーは『GLOW ON』について、ヘヴィな瞬間がありながらも、作品全体からどこか前向きで高揚感のある雰囲気を感じると話す。それに対してPatは、実際のレコーディング環境についても非常に居心地が良かったと振り返っている。

メンバー全員が快適な場所にいて、リラックスした状態で作品を作っていた。

そのとき自分たちが感じていたものを、完成した音楽を聴いた人にも感じてもらえれば嬉しい。

楽曲そのものが必ずしも「幸せな歌」というわけではなくても、聴いた人が何かを掴み、「この感覚は自分にも分かる」と結び付けるものになればいいと考えていたという。『GLOW ON』の鮮やかなアートワークや独特の開放感も含め、作品から受ける明るさは偶然ではなかったのかもしれない。

 

パンデミックが始まって約1カ月半後にはレコーディングへ

興味深いことに、『GLOW ON』は長いロックダウン生活を経験した後に作られたアルバムではない。

Patによれば、Turnstileはパンデミックによってツアーが止まり、家へ戻って約1カ月半ほど過ごした後、すでに予定されていたレコーディングへ向かったという。もしパンデミック開始から1年後に作品を作っていたら、まったく違うアルバムになっていただろうとも話している。

長期間の隔離生活によって、人々の思考や身体感覚そのものが変化したとPatは感じているからだ。

つまり『GLOW ON』は、パンデミックによる社会的な変化を完全に経験した後の作品ではなく、それまでのTurnstileが持っていた勢いと、世界が急停止した直後の特殊なタイミングが重なった作品でもあった。

 

テレビ出演では「いつものライブ」ができない

『GLOW ON』の成功によってTurnstileが経験するようになったものの一つが、アメリカの大型テレビ番組への出演だった。PatはSeth Meyersの番組とJimmy Kimmelの番組でのパフォーマンスについて振り返っている。

特に最初のテレビ出演では、普段とはまったく異なる環境に緊張したという。Seth Meyersでは進行が秒単位で決められ、出演者が入れ替わるタイミングも非常にタイトだった。一方、Jimmy Kimmelでは事前収録だったため、もう少し自由に演奏できた。

Pat自身、2度目だったこともあり、最初より緊張は少なかったという。ただし、Turnstileにとってテレビ出演が特殊なのは、時間だけではない。

ハードコアのライブでは観客が目の前にいて、ステージダイブ、モッシュ、クラウドサーフなどが起こる。バンドが一方的に演奏するのではなく、観客から返ってくるエネルギーを受け取って、さらに演奏へ返していく。Patは、このエネルギーが「共有されている」と表現している。

テレビスタジオでは観客との距離もあり、人数も限られる。そのため、Turnstileが普段ライブハウスで経験している環境とは根本的に異なる。

 

パンデミック後のライブは「50倍くらい強い」

インタビューの中でも特に印象的なのが、ライブ再開後の観客についての話だ。

「パンデミック前と比べてライブのエネルギーは変わったか」と聞かれたPatは、「50倍くらい強い」という感覚で答えている。長期間、人々は大音量の音楽を聴くことも、ステージから飛ぶことも、モッシュすることも、踊ることもできなかった。それらを何年も奪われた結果、ライブが再開したときの反応は以前とは比較にならないほど強くなったという。

Patがパンデミック後に最初に見たライブの一つが、ボルチモアのEnd Itだった。パンデミック以前の状況から考えれば、500人規模の会場を満員にするようなライブになるとは予想していなかった。しかし実際には会場は完全に埋まり、最初の一音から異常な盛り上がりになった。

PatはBrendan Yatesと一緒にそのライブを見ながら、「一体何が起きたんだ?」と驚いていたという。

 

Turnstile復帰公演、「Mystery」の最初の一音

Turnstile自身のライブ復帰も特別なものになった。最初の公演の一つとして開催されたのは屋外での無料ライブ。

普段ライブ会場として使われる場所ではなかったため、電源を確保するための発電機、仮設トイレ、市からの許可などを自分たちで準備しなければならなかった。しかし演奏前から、その場所には異様な緊張感が漂っていた。Patは最初の一音が鳴った瞬間にすべてが爆発することを感じていたという。そして最初に演奏したのが「Mystery」。同曲をライブで演奏するのもその日が初めてだった。

何年も会えていなかった友人や仲間が集まり、新曲を初めて演奏する。その瞬間に返ってきた反応は、Patにとって感情を抑えるのが難しいほど強烈なものだった。彼はライブ再開後に生まれたエネルギーを、観客とバンド双方にとっての「カタルシスのような解放」と捉えている。

 

「30番目に好きなバンド」でも、3年ぶりなら特別になる

Patが面白い表現をしている。

ライブ再開後なら、その人にとって「30番目に好きなバンド」だったとしても、3年間見られなかったのであれば、そのライブは楽しいものになる。重要なのはバンドのランキングではない。

ライブそのものを長期間経験できなかったことによって、人々がその行為自体の価値を改めて感じるようになったという。

Pat自身、Cannibal Corpseのライブを見た際にも同じ感覚を持った。会場は満員で、モッシュやサークルピットが曲間まで止まらなかった。別の高速なバンドでモッシュすることはできても、「Cannibal Corpseでサークルピットをする」という特定の体験は代替できない。それぞれのライブには、その場所でしか得られないものがあるということだ。

 

5年間ツアーを続け、止まった瞬間に初めて不安を感じた

ライブが人にとってどれほど大きな意味を持つのかという話は、Pat自身の経験にもつながっていく。

パンデミック以前、PatはTurnstileとAngel Du$tで約5年間、ほとんど休むことなくツアーを続けていた。ところが2019年9月頃に家へ戻り、2020年2月頃までライブをしない期間が生まれた。そこで初めて、これまで経験したことのない強い不安を感じるようになったという。

「自分は何をしているんだろう」「自分はそもそも何者なんだろう」

そうした考えが頭から離れず、目を覚ました瞬間から考えてしまうこともあった。

それまで友人が不安について相談してきても、その感覚を本当の意味では理解できず、「運動でもしたらいいんじゃないか」といった自分なりの解決方法を考えてしまっていた。しかし自分自身が経験したことで、他人の感じ方にはそれぞれ異なるプロセスがあり、単純な正解や間違いでは説明できないことを理解するようになったという。

 

パンデミック中、ゲームが孤立を和らげた

その後パンデミックが本格化し、誰もが外出や人との接触を制限される生活へ入っていった。

Patにとって一つの助けになったのがゲームだった。Discordを開けば、いつでも友人がいる。同じ場所に集まれなくても、ゲームをしながら会話することで孤独感を和らげることができたという。

インタビューではゲームやプロレスについて非常に長く語っており、それらがPatにとって単なる暇つぶしではなく、音楽とは別の部分の自分を保つために重要な趣味であることも分かる。

 

「音楽が仕事みたいになったら休む」

長期間ツアーを続けるミュージシャンにとって、音楽を好きなまま続けることも簡単ではない。

Patは、自宅へ戻ったときには音楽とは別の部分の脳を使う必要があると話している。ゲームをする。スポーツを見る。音楽から意識的に離れる。そうしなければ、自分が一人の「完全な人間」ではなく、ずっと同じ状態にいるように感じるという。

何よりPatは、「音楽はずっと良いものとして感じていたい」と考えている。もし音楽が「仕事っぽく」感じ始めたら、一度休む。Turnstileのメンバーはその感覚も共有しており、2019年に長期間のツアーを終えた際、「数カ月休もうか」と話したところ、全員がすぐに賛成したという。

世界的に注目されるバンドになったからこそ、走り続けるだけではなく、音楽そのものを嫌いにならないための距離も必要になっている。

 

Turnstileのメンバーはボルチモアの約3ブロック圏内に暮らしていた

世界各地をツアーするようになっても、Turnstileの日常は非常にローカルだ。

インタビュー当時、メンバーは全員ボルチモアの約3ブロック程度の範囲に住んでいたという。Patは以前からボルチモアに住んでおり、Franz Lyonsはオハイオから移住。他のメンバーもメリーランド州内の別地域からボルチモアへ移ってきた。その結果、コーヒーショップへ行けば偶然メンバーに会うような距離で生活し、数日おきには自然に顔を合わせている。

Turnstileが世界的な活動をしていることを考えると、この距離感は興味深い。バンドが巨大になっても、メンバー同士が別々の都市へ散らばってオンラインで連絡を取っているわけではない。現在も同じ街、ほとんど同じ近所で生活している。

 

ボルチモアには「ハードコアを受け入れてくれる場所」が必要

Patはボルチモアの音楽シーンについて「素晴らしい」と話している。

一方で、ハードコアやパンクのライブを継続的に開催できる小さな会場を維持することには難しさもある。激しいライブで一度問題が起これば、会場側がその後ハードコア・バンドを警戒するようになり、出演バンドの映像まで確認するようになることもあるという。

その中で重要な場所だったのがCharm City Art Space。250人程度で満員になる小さな会場で、ドアの外から中を見る人が出るほど詰め込まれることもあった。同会場の閉鎖後はMetro Galleryなど別の場所へシーンが移っていった。

そしてPatが特に重要な存在として挙げているのがOttobarだ。

 

初めてステージダイブした場所、Ottobar

OttobarはPatにとって単なる現在のライブ会場ではない。

2003年頃、ThriceとPoison The Wellを見た際、初めてステージダイブを経験した場所でもあるという。それから年月が経った現在も、友人のバンドや各地から来るツアーバンドを受け入れ続けている。Patは、Ottobarのような場所が存在し続ける限り、ボルチモアの音楽シーンは大丈夫だと考えている。

さらにボルチモアのシーンについて、「家族のようなもの」と表現する。新しいバンドが次々と始まり、以前からいるバンドも演奏を続け、複数の小さな会場を中心に人々が集まる。

Turnstileが世界へ出ていった後も、その根にあるのはこのような環境だ。

 

日本やニュージーランドでは「ツアーを旅行の裏技にする」

Patはツアーによって世界各地へ行けること自体も楽しんでいる。

例えばニュージーランドへ戻るためなら、そのために数公演ライブを組んでも構わないと冗談交じりに話している。日本へ行く場合も同様で、可能ならライブとライブの間に10日ほど時間を作り、その土地を楽しみたいという。ただ会場へ行き、ライブをし、次の都市へ移動するだけではない。

世界を回れること自体を、自分の人生の経験として楽しもうとしている。

 

世界へ広がっても、Turnstileの中心にあるものは変わらない

このインタビューが行われた頃、Turnstileは『GLOW ON』によって、それまでとは明らかに異なる規模へ進み始めていた。

テレビ番組に出演する。レコードが即完売する。大型フェスティバルへ出演する。初めて南米へ行き、アメリカをツアーし、ヨーロッパ各地のフェスティバルを回る。それでもPatの話を追っていくと、バンドの考え方自体は意外なほどシンプルだ。

まず自分たちが興奮する音楽を作る。ライブでは観客からエネルギーを受け取り、それを返す。音楽が仕事になりすぎそうなら休む。そしてツアーから戻れば、ボルチモアの同じ数ブロックの中でメンバーと暮らす。

『GLOW ON』がTurnstileをハードコアの外側へ連れていったことは間違いない。

しかしPat McCroryの言葉から見えてくるのは、バンドが「ハードコアから脱出した」というより、ハードコアで学んだ自由さや共同体の感覚を持ったまま、自分たちが面白いと思う場所へ進んだという姿だ。

そしてパンデミックによってライブそのものを奪われたことで、バンドと観客の双方が改めて気付いたものもある。

ステージとフロアの間で起こるエネルギーは、ストリーミングでもテレビでも完全には置き換えられない。Patがパンデミック後のライブを「50倍強い」と感じたのも、Turnstileにとってライブが単なる楽曲の再現ではなく、人と人が同じ場所で何かを共有する行為だからなのだろう。

 

参照元動画

RRBG Podcast「EP275 – Pat Mccrory (Turnstile)」

Bring Me The Horizonはなぜ『Count Your Blessings』を作り直したのか? Oli Sykesが語る再制作の裏側

Bring Me The Horizonの原点となったデスコア・アルバム『Count Your Blessings』。長年、初期ファンから強烈な支持を受け続けてきた一方、Oli Sykes本人にとっては複雑な感情を持つ作品でもあった。

Nick NocturnalとのインタビューでOliは、『Count Your Blessings Repented』として作品を新たに作り直した理由、オリジナル版の制作環境、約20年前の歌詞を現在の自分がどう受け止めたのか、そして現代的なメタル作品へ変えてしまわないために行った細かな調整について語っている。

重要なのは、今回の制作が単純なリマスターではないことだ。

当時のマルチトラック素材が残っていないため、実質的には作品全体を一から再構築する「完全なリメイク」だった。

 

「嫌いだった」のではなく、音に満足していなかった

Bring Me The Horizonが長年『Count Your Blessings』の楽曲をあまり演奏しなかったことから、バンド自身が作品を嫌っている、あるいは恥ずかしがっていると思っていたファンもいた。

しかしOliによれば、本当の理由は作品の内容ではなく「音」だった。

当時のBring Me The Horizonは小さなバンドで、制作予算も少なかった。メンバー自身もクリックトラックやギターのパンニングなど、基本的なレコーディングの知識すらほとんどなかったという。メンバーがそれぞれ自分のパートを録音し、他のメンバーの演奏について確認し合うような制作体制でもなかった。

Oli自身も途中で体調を崩し、さらにバンドは頻繁に酒を飲んでいた。

完成したCDを車で初めてまともに聴いた際、All Shall Perishなどを聴いていた自分のオーディオ環境で『Count Your Blessings』を再生し、「これは音が良くない」と強く感じたという。その後、長年ほとんどアルバムを聴き返さなかったほどだったそうだ。

 

約20年前の歌詞を「今の自分」がもう一度歌う

再録するうえでもう一つ大きな問題になったのが歌詞だった。

Oliは16歳頃に書いた歌詞を読み返し、一部については現在の視点から見れば女性蔑視的だと解釈される可能性があると認めている。

当時はGlassjawをはじめ、自分たちが聴いていた音楽から表現を吸収し、「格好いい」と思ったものを深く考えず使用していた部分もあった。

そこで最初は歌詞を変更したり、一部を自主規制したりすることも考えたという。

しかし、アルバムにはさらに過激なテーマの楽曲が数多く存在する。人間そのものを消滅させるような内容もあり、一部分だけ変更し始めれば「どこまで直せばいいのか」という問題になる。

結果的に作品全体の性質を別のものへ変えてしまう可能性があった。

 

「良くする」のではなく「記憶の中の音」を守る

再録当初、Oliは現在の自分の方がスクリーム技術も高く、演奏もより正確にできるのだから、当然オリジナルより良いものにできると考えていた。しかし実際に録り始めると、わずかに違うだけでも強烈な違和感が生まれた。

Oli自身、昔から好きなバンドがEPの曲をアルバム用に再録した際、スネアの位置や小さなバックグラウンド・ボーカルが変わっただけで嫌だった経験があるという。

そこで、ファンが20年間聴いてきた『Count Your Blessings』も同じなのだと気付いた。

音程が半音違う、スクリームの形が少し変わる、タイミングが変わる。その程度でも、長年作品を愛してきた人には重要な違いになる。

Repented (=悔い改めた) 盤では、明らかに修正した方が良い部分を除いて、可能な限りオリジナルを再現する方針が取られた。

 

Buster Odeholmにも「2026年のメタルにしないでほしい」と依頼

新しい音作りを担当したのは、現代のヘヴィ・ミュージックを代表するプロデューサーの一人であるBuster Odeholm (*Buster Odeholmは、スウェーデン出身のミュージシャン、プロデューサー、オーディオエンジニアで、Humanity’s Last BreathとVildhjartaのメンバーとしても知られる)。

しかしBring Me The Horizonが求めたのは、現代的な超低音チューニングや巨大なキック、極端に洗練されたプロダクションへ作り替えることではなかった。

最初に提示されたミックスは現代的で非常に良い音だったものの、バンド側は「これは今のバンドの音になりすぎている」と感じたという。

目標は、2026年のメタルへアップデートすることではなく、「2006年にこの作品を最高の環境で作れていたら、こう鳴っていた」というサウンドだった。

キックには当時らしいクリック感が必要で、スネアにもあの時代特有の硬い響きが必要になる。そして何より『Count Your Blessings』はリフそのものが中心となる作品であるため、ギターが明確に聞こえなければ意味がない。

現代の音圧を使いながら、2006年の美学を維持する。そのバランスがRepented制作の重要な課題だった。

 

メンバーは世界各地からリモートで再制作

興味深いのは、約20年前のアルバムを再現する作業が、当時とはまったく異なる環境で行われていることだ。

制作時、Oliはブラジルにおり、Matt NichollsとLeeらはイングランドのシェフィールド、Matthew Keanはロサンゼルスにいた。それぞれが個別に作業し、Matt Nichollsはドラム、Leeはギター、Oliはボーカルを担当した。

Oliは育児の合間、朝の数時間を利用して歌入れを進めていたという。

さらに当時の自分がどのような発声をしていたのか分からない部分もあり、ファンがオンライン上にアップロードしていたボーカル抽出音源を利用。それをLogicへ読み込み、10~15分単位で細かくループしながら、昔の自分の発音や声の形を再現していった。

本人ですら「自分は何と言っているんだ」「どうやってこの声を出しているんだ」と感じるほど、初期の発声は現在とは異なっていた。

 

当初は「小さな20周年企画」のつもりだった

バンド側は当初、今回の企画をキャリアの中の小さな記念企画程度に考えていたという。

新しいアルバム制作も予定しており、『Count Your Blessings』20周年は一年の中の小さな出来事になると思っていた。しかし発表すると、予想を大きく超える反応が起きた。

長年「Pray for Plaguesをやってほしい」と言い続けていたファンだけでなく、オリジナル発売当時には知らなかった世代まで作品に強い思い入れを持っていることをOliは改めて知ることになる。

本人は以前、「昔の曲を要求する若いファンは、古参のように見せたいだけなのではないか」と考えていた部分もあったという。しかし今回の反応を見て、それが本当の愛情だったのだと実感した。

 

「今なら自分でもこのアルバムを聴ける」

Repented完成後、Oli自身の『Count Your Blessings』に対する感情も変化した。

以前は完成版をほとんど聴き返したことがなかったが、新バージョンについては何度も再生し、「これは良い」と感じられるようになったという。

完璧なアルバムではない。インタールードが少し多い、もっと曲数があっても良かったなど、現在から見れば改善したかった部分もある。

それでも16歳頃から書き始め、何も分からない状態で作った作品として振り返ると、今では自分たちを誇らしく感じるようになった。

そしてRepentedは新しいファンのためだけの作品でもない。

最大の目的は、2000年代からBring Me The Horizonを支えてきた人たちへ、「自分たちはこの作品と、自分たちが生まれた場所を誇りに思っている」と伝えることだという。

参照元動画

「OLI SYKES on Count Your Blessings Repented, Sempiternal & Deathcore Era」

亡きメンバーRyan Siewへ捧げた Polaris の新曲「Without You」は、なぜこれほど胸を打つのか? 5つのリアクションから見る楽曲の背景に迫る

オーストラリアを代表するメタルコア・バンドの一つ、Polarisが3年ぶりとなる新曲「Without You」を発表した。しかし、これは単純に「待望の新曲」と呼ぶには、あまりにも大きなものを背負った一曲だ。

2023年6月19日、PolarisのギタリストRyan Siewが26歳で亡くなった。バンドは彼を、10年間を共に過ごした親友であり、音楽におけるかけがえのないパートナーとして追悼。その約2カ月後に発表された3rdアルバム『Fatalism』はRyanが生前に制作へ参加した最後のアルバムとなり、結果的に彼がPolarisへ残した音楽的な足跡を刻む作品にもなった。それから約3年。2026年9月3日に届けられた「Without You」は、Ryanを失った後のPolarisが初めて世に送り出した新曲だ。

Jamie Hails、Rick Schneider、Jake Steinhauser、Daniel Furnariの4人が作曲者としてクレジットされており、Ryanが残した演奏を世に送り出すのではなく、彼のいない現在を生きる4人が新しく生み出した楽曲であることにも、この曲の大きな意味がある。

Polaris自身は「Without You」について、3年が経った今も大きな喪失と、その後に残されたものを理解しようとしている途中だと説明している。彼らがこの曲に込めたのは、喪失、ショック、悲嘆、心の痛み。そして、それを初めて外の世界と共有しようとする行為そのものだった。

今回、海外で公開された複数のリアクション動画を追ってみると、興味深い共通点が見えてくる。誰もがこの曲の背景に胸を痛めているが、同時に、単に「悲しい曲」「Ryanへの追悼曲」として評価しているわけではない。むしろ多くのリアクターが驚いていたのは、これほど個人的な悲しみを扱いながら、Polarisがバンドとして持っている攻撃性、グルーヴ、メロディ、演奏の緻密さを一切失っていないことだった。

「Without You」は悲しみを説明するための曲ではない。悲しみそのものを、Polarisの音楽へ変換した曲なのだ。

 

Ryan Siewを失ってからの3年間

Ryanの死が発表されたのは2023年6月28日。Polarisは、彼が同月19日の朝に亡くなったことを明らかにした。

当時26歳だったRyanは、若くしてPolarisのサウンドを形作る重要人物となっていた。『The Mortal Coil』『The Death Of Me』、そして完成済みだった『Fatalism』に残されたテクニカルかつ感情的なギターワークは、バンドの音楽にとって欠かせないものだった。

『Fatalism』はその後予定通りリリースされ、オーストラリアのARIAチャートで1位を獲得。2024年のAIR AwardsではBest Independent Heavy Albumを受賞するなど、Polarisのキャリアでも大きな成功を収めた。しかし作品を聴けばそこにはRyanの演奏があり、ツアーを続けるバンドにとっても、前へ進むこととRyanの不在を受け入れることは、簡単に切り離せるものではなかった。

そして「Without You」が生まれた。

公式発表では、この曲を「喪失から生まれた作品」と明確に位置付けている。公開されたミュージックビデオも、空虚な大聖堂で演奏する現在のメンバーの姿と、バンドの過去を想起させるイメージを交錯させ、Ryanがいた時間と、その後に続いていくPolarisを同時に映している。

重要なのは、Polarisがこの3年間を「乗り越えた」とは表現していないことだろう。悲しみが消えたから新曲を出したわけではない。まだ理解できないものを抱えたまま、それを音楽として誰かと共有できる地点まで来た。「Without You」は、そうした曲として始まっている。

 

悲しみをバラードにはしなかった

「Without You」の最も強い魅力は、このテーマを静かなバラードへ置き換えなかったことにある。

冒頭からPolarisらしい鋭いリフとドラムが前へ出る。浮遊するような不穏な空気の中へグルーヴが入り、Jamie Hailsの叫びとJake Steinhauserのメロディが交差する。そこから感情を大きく開くコーラスへ進み、ギターソロを経て、最後には楽曲そのものが崩壊していくような強烈なヘヴィ・パートへ突入する。

オーストラリアの音楽メディアDestroy All Linesもこの曲について、激しいボーカル、重いビートとリフ、伸びやかなメロディック・コーラス、胸を締め付けるギターソロ、そしてPolaris史上でも最もヘヴィな部類に入るアウトロが共存していると紹介している。一方、同じくオーストラリアの音楽メディアWall Of SoundのGeorgia Haskinsは、特に最後の暴力的な展開に注目している。

悲しみについて誰かに話したからといって、痛みがその瞬間に消えるわけではない。前へ進む準備ができたことは、過去を忘れたことを、ここでは意味していない。穏やかに収束せず、最後に再び感情が噴き出す「Without You」の構成を、悲嘆が一直線には進まないことを表したものとして捉えている。

この見方は、曲を聴いたときの感覚ともよく重なるだろう。Ryanを思い出し、悲しみを言葉へ変え、少し光が差し込んだように感じても、感情は突然また襲ってくる。その不安定さを、Polarisは曲のダイナミクスそのものにしているように聴かせている。

 

ギターソロが持つ特別な意味

そして当然、この曲で最も意識せずにはいられないのは、ギターだ。

RyanはPolarisにおけるリードギタリストであり、複雑なリフだけではなく、旋律そのものに感情を持たせるプレイヤーだった。「Without You」にも明確なギターソロが置かれており、それは単に「Ryanがギタリストだったからソロを入れた」と説明できるほど単純なものではない。曲全体が重い感情に沈む中で、ギターだけが少し上の方へ抜けていくような瞬間を作り、そこから再び激しい終盤へと向かっていく。暗い楽曲の中へ一瞬の光を持ち込んでいるようにも聴こえ、多くのリスナーもそれを感じているとビデオにコメントが書き込まれている。

Ryan本人の演奏ではないことに、このフレーズに別の意味が生まれている。彼から大きな影響を受け、一緒に音楽を作ってきた人間たちが、Ryanの不在を意識しながら鳴らしている音。Polarisがその部分を避けず、むしろ曲の大きな感情的ポイントとして使ったことに、バンドの創造性が表れているのではないだろうか。

 

歌詞にある「残された側」の感情

歌詞もまた、亡くなった人物を美しく思い出すだけの追悼文とはかなり違っている。そこにあるのは、喪失だけではなく、生き残った側に残る罪悪感、信じていたものを失う感覚、繰り返し思い出してしまう記憶、誰にも見えない場所で抱える痛みなど、残された側の感情について綴られたフレーズが盛り込まれている。特に「Your echo never fades (あなたの残響 (または影響?、そのままエコーと受け取っても良い)は決して消え去らない」という短い言葉は、この曲の中心にある感情を強く表している。

いなくなった人の声や存在は消えない。それは温かな記憶であると同時に、何度もその不在を認識させるものでもある。「Without You」はRyanの人生や死について外側から説明するのではなく、「残された自分たちは今どのような状態なのか」を曝け出している。そのため、個人的な背景を知らないリスナーにも、誰かを失った経験そのものと結びつく余地が残されているのではないだろうか。

さて、ここからは、実際にこの曲を初めて聴いた海外のリアクターたちが何を感じたのかを見ていきたい。今回は、否定的な評価を取り上げるのではなく、この曲がどの部分で人の感情を動かし、Polarisの音楽的な強みがどのように受け止められているかに焦点を当てていく。

 

METALBIRB――「Ryanがいなくても、まだPolarisの音がする」

METALBIRBは、曲が始まった直後からPolaris特有のバウンス感に反応し、チャグ、グルーヴ、リフ、ボーカル、ドラムが噛み合っている点を評価している。しかし聴き進めるにつれ、意識は自然と歌詞へ移っていく。

特に彼が感じ取ったのは、Ryanを失った悲しみだけではなく、若くして大切な人物を失ったことで信じていたものまで揺らいでいく感情だった。そして、バンドがその悲しみを抱えながら活動を続けなければならないという複雑さにも触れている。

興味深いのは、ArchitectsとTom Searleの喪失を思い出したと話している点だ。

音楽性が同じという単純な比較ではなく、大切なギタリスト/ソングライターを失ったバンドが、その後の音楽で悲しみを表現するという部分に共通するものを感じたのだろう。そのうえでMETALBIRBは、「Without You」が背景を知らなくても成立する曲であることも高く評価している。

Polarisのファンにとって歌詞は非常に重い。一方で、初めてPolarisを聴く人であっても、グルーヴのあるリフ、歌えるコーラス、暗さを増していく後半、強烈なブレイクダウンを持つメタルコアとして楽しめる。「追悼曲だから評価される」のではなく、まず一曲のPolarisとして強い。そこが重要なのだと話す。

そしてMETALBIRBにはRyanに対する個人的な記憶もあった。

RyanがPolaris以前からYouTubeへギターカバーを投稿していた頃、その映像を見ていたという。当時自身もギターカバーを投稿していたことから、Ryanは「有名バンドのギタリスト」になる以前から、自分にとってインターネット上の音楽コミュニティに存在していた人物だった。最後にはこの曲を美しいトリビュートでありながら強烈な一曲と評価し、8.5/10を付けた。

 

「A+」と即答したリアクター――Dan Furnariのドラムに宿る感情

こちらのリアクターは、再生前から「これはつらいものになる」と覚悟を決めている。しかし実際に曲を聴き終えた直後に出た評価は、「悲しい」だけではなかった。「オーストラリア最高峰のバンドが、どうやってさらに良くなるんだ?」という驚きとともに、即座にA+と評価している。

特に注目していたのがDan Furnariのドラムだ。一度曲を最後まで聴いたあと、わざわざ冒頭へ戻り、「一発一発に全身をぶつけているように聞こえる」とドラムへ耳を向けている。Ryanへのトリビュートと聞けば、どうしてもギターや歌詞に注意が集まりやすい。しかし「Without You」の感情を作っているのは、特定の楽器だけではない。ドラムの一打にも、曲を前へ押し進める切迫感がある。

このリアクターはギターワーク、ソロ、ボーカルも絶賛しているが、中でも楽曲全体から「メンバーが身体ごと感情を叩き込んでいる」ような印象を受けていたことが面白い。終盤の急激な変化にも強く反応し、この曲をPolarisの「powerful return」と表現している。

大きな喪失を経験したバンドが、慎重に小さな一歩を踏み出したというより、「自分たちはここにいる」と全力で示した曲として受け取っていた。

 

Ohrion Reacts――「悲しみと怒りが低音そのものから聞こえる」

Ohrion Reactsも、Ryanへの曲であることを理解した状態で再生を始めている。現在公開されている動画情報からも、Ryanを失って以降初の新曲として「Without You」を取り上げていることが確認できる。リアクション中にはブレイクダウン、リフ、ギターソロへ素直に興奮しながらも、聴き終わる頃にはかなり言葉を選びながら感想を話している。

彼自身Polarisを以前から追いかけており、Jamie Hailsと話した経験もある。Ryanが亡くなった直後にもJamieと接する機会があったものの、そのときはあえてRyanの話題には触れなかったという。だからこそ、3年後にバンド自身が音楽としてその感情を外へ出してきたことへ、特別な重みを感じている。

音楽面で強く評価しているのはJamieのボーカルだ。

近年さらに表現力が増したと感じており、叫びと低音が単純な「ヘヴィさ」のためではなく、悲しみと怒りを直接引き出していると捉えている。特に最後のブレイクダウンでは、低くチューニングされたギターとJamieのローが重なり、喪失によって生まれた怒りまでが音になっていると評価した。一方、ギターソロについてはRyanを想起させるショーケースのように感じたと話している。

彼にとってPolarisは、パンデミック期を支えてくれた個人的にも重要なバンドだった。そのため「Without You」を新しいスタートとして喜びながらも、手放しに「復活だ」と騒ぐのではなく、Ryanの家族、友人、メンバーへ思いを寄せながら話を終えている。

 

「Polaris Have Done It」――“音が重い”ことと“感情が重い”ことは違う

このリアクションでは、曲の作曲とプロダクションにかなり細かく耳を向けている。

最初に気にしていたのは、Ryanという重要なソングライターを失った後もPolarisらしさが残るのか、それとも大きく方向を変えるのかという点だった。答えは、どちらか一方ではなかった。

Jamieの声、Danのドラム、鋭いリフなど、確実にPolarisの核は残っている。そのうえで、楽器が一度引き、ボーカルを前へ出す瞬間や、空間を大きく取った音像、静寂を効果的に使う展開など、細かなダイナミクスによって感情を引き出していると評価している。そして、このリアクターが非常に的確な指摘をしている。

低いチューニングのギターを使うこともでき、ブレイクダウンを入れることもできる。それだけでも音楽を「ヘヴィ」にすることはできる。しかし、本当に伝えなければならない感情を持っている人間が、心の底から曲を作ったときの重さは、それとは違う。「Without You」にはその違いがあると感じている。

今回集めたリアクションの中でも、この評価は「Without You」の魅力をかなり正確に表しているように思う。この曲が重いのは、チューニングが低いからだけでもなく、ブレイクダウンが激しいからでもない。音を鳴らしている理由そのものに重みがある。だから、同じギター、同じドラム、同じスクリームでも、いつもとは違う切迫感が生まれているのではないか。非常に意味深い考察である。

 

「HEARTBREAKING song」――最後の爆発を“悲嘆の形”として受け止める

このリアクターは、冒頭から楽曲の猛烈なエネルギーに驚き、歌詞の悲痛さ、リフ、2番で増していく攻撃性、穏やかになるコーラス、そして終盤へ向かうにつれて何度も感情を揺さぶられている。

特に強く反応したのが最後だ。

ギターソロを終えた後、そのまま静かに曲が終わるのではないかと予想していた。しかしPolarisはそこで終わらない。もう一度すべてを爆発させている。映像と音が一体になったその部分を、このリアクターはトリビュートとして非常に強い瞬間だと捉えている。

聴き終えた後には、バンドが仲間を失った後、どうやって「次の音楽を作る」と決断するのかという問題についても考えている。もちろんRyan本人が何を望んでいたかを外部の人間が決めることはできない。その点には本人も注意しながら、それでも「アーティストが残したものは生き続ける」という考えを語った。

PolarisがRyanの代わりを作るのではなく、Ryanが作ってきた歴史を抱えたまま次の作品を生み出す。そのこと自体に意味を感じている。

音楽的には、今回のボーカルを特に高く評価しており、カタルシスのように感じられたという。暗く、悲痛で、非常にヘヴィ。それでも明確にPolarisの曲であることに驚きを込めて評価した。その両立について、このリアクターは「quintessential Polaris」と捉えている。

 

5つのリアクションに共通していたもの

今回参照した5本のリアクション動画には、それぞれ着目する場所に違いがあった。ドラムに心を奪われた人がいたし、Jamieのボーカルに悲しみと怒りを感じた人もいる。ギターソロをRyanへの献辞のように受け取った人もいれば、最後のブレイクダウンこそが悲嘆の不安定さを最も表していると感じた人もいた。

しかし根底にある評価はほぼ同じだ。これはRyanへのトリビュートであると同時に、非常に優れたPolarisの新曲でもある。そこが「Without You」の重要なところだろう。もしこの曲が背景だけに依存していたなら、Ryanのことをよく知るファンにしか届かない作品になっていたかもしれない。

しかし実際には、曲として、RyanのいないPolarisのこれからに続いていく曲として、非常に優れていることへのリアクションが強かったようにも感じる。

背景を知らない人がSpotifyで偶然出会っても、一曲のメタルコアとして楽しめる。背景を知ったあとにもう一度聴けば、同じ音がまったく違って聞こえる。それだけの奥行きが「Without You」にはある。

 

Ryanの代わりを作るのではなく、RyanがいたPolarisの続きを作る

メンバーを失ったバンドについて語るとき、「代わり」という言葉が使われることがある。しかし、Ryan Siewについて考えるなら、その表現だけでは足りないように思う。Ryanのギターも、Ryanがバンドの中で持っていた感覚も、メンバーとの関係も、そのまま誰かが埋めることはできないし、完璧に代わりというものが登場することはない。だから、これからのPolarisに求められているのは、「Ryanがいた頃とまったく同じ音」を再現することではないはずだ。

一方で、RyanのいたPolarisが作ってきたPolarisを捨てる必要もない。

「Without You」を聴いて感じるのは、その二つを同時に成立させようとするバンドの創造性だ。鋭いギター、複雑なグルーヴ、激しさと大きなメロディの共存というPolarisの核を保ちながら、今の4人にしか書けない感情を入れている。過去をコピーするのではなく、過去を自分たちの一部として次の音へ変える。新しいPolarisにとって、その最初の答えが「Without You」なのだろう。前へ進むことは、決して忘れることではない。

Polarisの場合、Ryanとの時間を持ったまま前へ進むからこそ、次の音楽にもRyanの存在が残り続けるのではないだろうか。Without You」は、Ryanがいないことをこれほど痛烈に歌いながら、同時にRyanがPolarisから完全に消えることはないと感じさせる。その矛盾のような感覚こそ、この曲がこれほど胸を打つ理由なのかもしれない。

これほど大きな喪失を無理に美しい物語へ変えることなく、痛みも怒りも混乱もそのまま音楽へ変換したPolarisの創造性に、最大限の敬意を送りたい。

Ryan Siewへ心よりご冥福をお祈りします。

 

REV3RENTはなぜ急成長したのか? MySpaceデスコア・リバイバルを牽引する10代バンド、その成功を生んだ理由に迫る

2000年代後半のMySpaceデスコアを、単なる懐古ではなく「現在進行形のシーン」として蘇らせようとする新世代バンドが登場している。その中でも急速に存在感を高めているのが、カリフォルニアを拠点とするREV3RENTだ。

Suicide Silence、初期Chelsea Grin、初期Bring Me The Horizonなどを思わせる荒々しいデスコア。極端なハイ・スクリームと低音ボーカル。クラブ規模の会場で観客へ真正面からぶつかっていくライブ。そして、2000年代のバンドがMySpaceやYouTubeで行っていたようなスタジオ映像やVlogまで含めたオンラインでの発信。YouTube動画「The Unexpected Rise of REV3RENT」では、REV3RENTがなぜ短期間でMySpaceデスコア・リバイバルの中心的存在へ浮上したのかを分析している。

動画の投稿者が特に注目しているのは、単に「昔のデスコアっぽい音」を作っているから人気になったのではないという点だ。サウンド、ボーカリスト、ライブ、ビジュアル、SNS、ファンとの距離感……。それぞれが一つの方向を向いたことで、REV3RENTというバンドそのものが強いキャラクターを持ち始めている。そして2026年現在、その勢いは動画公開時よりさらに大きくなっている。

 

始まりは約1分半の「Tormented Fate」

 

REV3RENTがシーンへ本格的に姿を現したのは2024年になる。初期シングル「Tormented Fate」は約1分半という短い楽曲ながら、2000年代後半のMySpaceデスコアを思わせるサウンドを真正面から打ち出していた。xYanの動画では、この曲を「2007年からそのまま届いたような音」と表現している。

現在のデスコアでは、極端な低音チューニング、巨大なシンフォニック・アレンジ、精密なプロダクションなどが珍しくなくなった。しかしREV3RENTが向かったのは、むしろ逆方向だった。荒々しいリフ、短く凶暴なブレイクダウン、高音と低音を激しく行き来するボーカル。そして、2000年代のデスコアにあった若さと衝動をそのまま再現するような「空気」。

MySpace時代のデスコアに存在した「生々しさ」を求めていたリスナーにとって、REV3RENTは非常に分かりやすい存在だったと動画では分析されている。

 

初EP『Last Trace』で一気に注目を集める

その後、REV3RENTは複数のシングルを経て、2024年7月に6曲入りEP『Last Trace』を発表した。「Smile! Wait For The Flash」「My Hand, Your Demise」「…Of Blood And Brutality」「If I Die Here First」「Tormented Fate」などを収録した作品で、初期REV3RENTの方向性がまとまった最初の作品となった。

動画の投稿者は、このEPをバンドにとって最初の大きな転換点と評価している。作品そのものの反響だけではなく、ライブ映像がオンラインで広がったことで、「音源が格好いい新しいデスコア・バンド」から「実際にライブを見たいバンド」へ変わっていったという。

MySpaceデスコア・リバイバルでは、2000年代らしい音を作ること自体は珍しくなくなりつつある。その中でREV3RENTが一段抜け始めた理由の一つが、このライブだった。

 

ボーカリスト交代という大きなリスク

『Last Trace』は、初代ボーカリストGabrielが参加した最後の作品となった。

バンドにとってボーカリスト交代は非常に大きな出来事だ。特にデスコアでは、声そのものがバンドの個性として認識されやすい。ある程度ファンが付き始めたタイミングでフロントマンが変われば、それまで築いてきた勢いを失う可能性もある。動画の投稿者も、当初はこの交代がREV3RENTにとって大きなリスクだったと捉えている。しかし結果的には、その後加入したJosh Bailey Guardがバンドの成長をさらに加速させることになった。

 

Josh Bailey Guardの加入がREV3RENTを変えた

動画の中でREV3RENT躍進の最大の要因として高く評価されているのが、Joshの存在だ。まず目を引くのがステージ上での動き。じっと立って極端なボーカルを披露するのではなく、ステージ全体を使って動き、観客へ直接圧力をかける。投稿者はその姿を、若き日のSuicide SilenceのMitch Lucker、とりわけ初期ライブ映像で見られたエネルギーと重ねている。

他のメンバーも、初期Chelsea Grinを思わせるような大きなヘッドバンギングを行うのも特徴だ。音だけではなく、ステージ全体が「MySpaceデスコア」というイメージを視覚的に成立させている。現在のREV3RENTが支持される理由を考えるうえで、このライブの見せ方はかなり重要な要素だ。

 

「格好よく見せようとするのをやめろ」

動画内で紹介されるREV3RENT側の発言も、そのステージに対する考えを象徴している。彼らが意識しているのは、格好よく立つことではない。ステージから強烈なエネルギーを押し出し、観客の目の前まで迫っていくような態度だ。

ブレイクダウンも過剰なほど重くする。

パフォーマンスも抑えない。

「これは少しやりすぎではないか」と感じる地点まで突き抜ける。

その過剰さこそ、観客がREV3RENTに求めているものではないかという考えだ。2000年代のデスコアでは、音楽だけでなくメンバーの動きやファッションまで含めてカルチャーだった。REV3RENTは、その感覚まで現在へ持ち込もうとしている。

 

17歳とは思えないJoshのボーカル

動画公開時、Joshはまだ17歳だったが、投稿者は、年齢以上に完成度の高いボーカリストとして評価している。特に特徴的なのが、鋭い高音と独特な低音の組み合わせだ。

MySpace時代のデスコアを再現するバンドは増えているが、その中で一度聴いただけでも判別できる声を持つことは大きな武器になる。REV3RENTの場合、単にMitch Luckerや初期デスコアの発声をコピーするのではなく、Josh自身の声として認識できる部分がある。それが、懐古的なデスコアの再現だけで終わらない理由の一つとして挙げられている。

 

「TikTokからデスコアを知ったっていい」

Joshの発言で特に興味深いのが、デスコアのゲートキーピングに対する考えだ。Lorna Shoreが好きでもいい、MySpaceデスコアが好きでもいい、TikTokで初めてデスコアを知ってもいい。重要なのは、「その人が何をきっかけにシーンへ入ってきたか」ではないという。

Joshは、誰かが大きな成功を収めているのであれば、自分がその音楽を好きではなかったとしても、少なくとも何を達成しているのかは評価できるはずだと考えている。そしてデスコアを小さな閉鎖的コミュニティのまま維持するのではなく、より多くの人へ届けたいという。

新しいリスナーを歓迎し、ヘヴィ・ミュージックが何をできるのかを世界へ見せたい。動画では、まだ10代のJoshがこうしたシーン全体についての視点を持っていることも、REV3RENTの将来性を感じさせる要素として評価されている。

 

MySpace時代を再現するだけでは足りない

新ボーカル体制で発表された作品が『Decimate』だ。ここでもREV3RENTの基本的な方向は変わっていない。初期Suicide Silence、Chelsea Grin、Bring Me The Horizonなど、MySpaceデスコア黄金期からの影響を感じさせる。しかし動画が重要視しているのは、単なる再現ではないという点だ。過去のバンドと同じリフ、同じブレイクダウン、同じボーカル。それだけなら、ノスタルジーとして一時的に注目されても長くは続かない。REV3RENTはそこへ自分たちなりの音色やキャラクターを加えている。Joshの極端なハイ・スクリームとグロウルも、その代表的な要素だ。

動画では、過去の公式を理解したうえで「REV3RENTの音」として提示できることが、他のリバイバル勢との差につながっていると分析している。

 

Noah Michelがサウンドの中心を担う

『Decimate』については、ギターのNoah Michelも重要人物として挙げられている。動画では、Noahが作品の多くを書き、プロダクションにも深く関わっていると紹介されている。REV3RENTのサウンドは一見すると非常に粗暴で、2000年代のDIYデスコアのように聞こえる。しかし実際には、その「古く聞こえる感覚」を現代の環境で作り出す必要がある。単純に音質を悪くすれば2007年になるわけではない。ギターの質感、ドラム、サブドロップ、ブレイクダウンの配置、ボーカルの処理。現代のリスナーが聴いても迫力を失わず、それでいて昔の空気を感じさせるバランスが必要になる。

REV3RENTがリバイバル勢の中で強く評価されている背景には、演奏だけでなく、このプロダクション面もある。

 

スタジオ・アップデートまで「復活」させた

REV3RENTの面白さは音楽だけではない。オンラインでの見せ方も、MySpace~初期YouTube時代を強く意識している。動画では特に、スタジオ・アップデートやVlogの復活を高く評価している。

2000年代には、バンドがスタジオでレコーディングしている様子、メンバー同士でくだらないことをしている映像、ツアー中の日常などを見ることもファン文化の重要な一部だった。完成したミュージックビデオだけではなく、「バンドの中にいるような感覚」をファンへ与えていた。REV3RENTも同じように、作品制作の裏側やメンバーのキャラクターを継続的に見せている。それによって、単にSpotifyで曲を聴くアーティストではなく、「次に何をするのか追いかけたいバンド」になっている。

 

ファンを「フォロワー」ではなくコミュニティにする

動画ではREV3RENTのファンについて、「cult following」と表現している。

もちろん文字通りのカルトという意味ではなく、バンドへ強い愛着を持ち、積極的に応援する固定ファンが早い段階から形成されているということだ。音源を聴く、ライブへ行く、動画を見る、SNSで拡散する、グッズを買う、新曲が出ればすぐ反応する。バンドが大きくなるうえで、単純な再生回数以上に重要なのが、こうしたコアなファンの存在だと動画では分析している。REV3RENTは若いバンドであることもあり、ファンと同じインターネット文化の中で活動している。その距離の近さも、強いコミュニティ形成につながっているのだろう。

 

Suicide SilenceのChris Garzaからも支持

REV3RENTがリバイバル・バンドとして信頼を獲得している象徴として、動画ではSuicide SilenceのChris Garzaからの支持も挙げられている。MySpaceデスコアを現在へ持ち帰る若いバンドが、その時代を実際に作った世代から認識される。これは単なるSNS上の数字とは別の意味を持つ。

さらにREV3RENTは、かつてMySpace時代を支えたバンドと同じステージに立つ機会も増えていった。動画では、その状況自体が短期間でバンドが獲得したシーン内での信頼を示していると評価している。

 

2026年、REV3RENTは次の段階へ

動画で語られていたREV3RENTの「急上昇」は、その時点で終わらなかった。

2026年9月、バンドは「She Let The World Run Rampant」を発表し、同名のデビュー・フルアルバムを10月30日にリリースすることを発表した。それまでのEPをリリースしてきたNUKEPOCALYPSEからさらに大きな環境へ進み、Deep Love Recordings / Atlantic Recordsからのリリースとなる。

つまり、MySpaceデスコア・リバイバルの小さなコミュニティから登場した若いバンドが、結成から数年でメジャー規模の流通へ進んだことになる。しかも彼らは、そのためにMySpaceデスコアらしさを捨てたわけではない。

現在もブレイクダウン、極端なスクリーム、クラブでの荒々しいライブ、crabcoreを思わせる動きなど、自分たちが最初に注目された要素を前面に残している。

 

REV3RENTの成功は「懐かしいから」だけでは説明できない

REV3RENTが人気になった理由を「2007年のデスコアが流行っているから」とだけ説明することは簡単だ。

確かに、MySpace時代へのノスタルジーは現在のデスコアにおける大きな潮流の一つになっている。しかし動画を通して見えてくるのは、それだけではない。昔の音を理解している、ライブでその世界観を視覚化できる、一度聴けば分かるボーカリストがいる、メンバー自身にキャラクターがある、スタジオ・アップデートやVlogによってファンとの距離を縮める、そして「古参だけのシーン」にするのではなく、新しいファンを積極的に歓迎する。これらが同時に存在している。2000年代のMySpaceデスコアが強かった理由も、音楽だけではなかった。

髪型、Tシャツ、ライブ映像、MySpaceページ、写真、メンバーの日常、ネット上での交流など、全部が一つのカルチャーになっていた。REV3RENTはその本質を理解しているように見える。

 

「MySpaceデスコアのコピー」から、その次へ

リバイバルには必ず一つの問題がある。最初は懐かしさそのものが魅力になるが、しかし、その先へ進めなければ「昔の方が良かった」で終わってしまう。

REV3RENTが今後さらに大きくなるうえで重要なのは、2007年をどれだけ正確に再現できるかではないだろう。そのサウンドを土台にして、どれだけ2020年代のREV3RENTにしか作れないものへ変えられるか、動画の中で投稿者が彼らを高く評価している最大の理由もそこにある。

OGのMySpaceデスコアから強く影響を受けながら、その公式をそのままコピーせず、自分たちのキャラクターを加えている。しかもメンバーは、その時代をリアルタイムで経験した世代ではない。

かつてMySpaceで生まれたデスコアを、後からインターネットで発見した世代が、今度はTikTok、Instagram、YouTubeを使って新しいシーンとして再構築している。その象徴的な存在の一つがREV3RENTなのかもしれない。

そしてデビュー・アルバムまで辿り着いた現在を見る限り、「The Unexpected Rise of REV3RENT」という動画タイトルにあった“rise”は、まだ途中にある。

参照元動画

「The Unexpected Rise of REV3RENT」

Turnstileの女性ギタリストMeg Millsはどのようにバンドへ加入したのか? 一人のファンからBlink-182ツアーへ、UKハードコアで歩んできた道を振り返る

現在Turnstileでギターを担当しているMeg Mills。しかし、彼女は突然巨大なステージへ現れたミュージシャンではない。

イギリスのハードコア・シーンでBig Cheeseを立ち上げ、Chubby and the Gangでも活動し、観客としてTurnstileを見ていた時代から、同じステージに出演するバンドへ。そして最終的にはBrendan Yatesから直接連絡を受け、Blink-182との約3カ月に及ぶアメリカ・ツアーへ参加することになった。

Knotfestのポッドキャスト「SHE’S WITH THE BAND」Episode 58では、Meg Millsが自身の音楽的な原点、リーズのハードコア・シーン、DIYツアー生活、Turnstileに参加するまでの経緯、巨大なアリーナへの適応、ハードコアとメインストリームの関係などについて詳しく語っている。

現在の姿だけを見れば華やかに映るかもしれない。しかしその背景には、窓もない地下室でのバンド練習、経済的に厳しい状態で続けたツアー、知らない人の家の床で眠った日々など、長いDIYハードコアでの経験があった。

 

リーズのハードコア・シーンに惹かれて19歳で移住

Meg Millsはロンドン出身だが、19歳頃にリーズへ移り住んだ。

その理由の大きな一つがハードコアだった。当時のリーズについてMegは、自分が好きだったハードコア・バンドが集まっている場所だったと振り返っている。

約10年前のリーズでは、The Flex、Higher Power、Shrapnelなどのバンドが登場し始め、イギリスだけでなくヨーロッパ各地から人々がライブへ訪れていた。Megによれば、街自体はそれほど大きくなく、自分たちで楽しみを作らなければならない環境だったことも、音楽シーンが発展した理由の一つだったのではないかという。

この時点のMegは、まだ中心的なバンドのメンバーとして活動していたわけではなく、一人の観客だった。

しかし2015~2016年頃、「Sick Of It AllやRest In Piecesのようなバンドをやりたい」と考え、自分から仲間を集める。それがBig Cheeseの始まりだった。

 

暗い地下室から始まったBig Cheese

Big CheeseはMegとボーカルのTomを中心にスタートした。Megがリフを書き、当時Higher Powerで活動していたLouisとAlexらが加わり、最初の練習はThe Flex周辺のメンバーが暮らしていた家の地下室で行われた。

そこは窓もなく、湿っぽいコンクリートに囲まれ、決して設備の整ったスタジオではなかったという。しかしMegは、そうした場所だからこそ重要だったとも振り返っている。

小さな地下室や自主運営の会場から生まれたバンドが、後に世界中で知られるようになる。その起点となった場所には、外側から見ただけでは分からない価値がある。

Meg自身も最近その家の前を通り、「自分の人生の方向を大きく変えたものが、ここで生まれたんだ」と感じたという。

 

My Chemical Romance、Paramore、The Damned――ハードコア以前の音楽的ルーツ

Megが音楽へ強く惹かれるようになったのは、さらに幼い頃だった。

12~13歳頃にはKerrang!やScuzzなどの音楽チャンネルを見ながら、My Chemical Romance、30 Seconds To Marsなどを発見。Paramoreも大好きで、12~13歳頃に購入した最初期のCDの一つだったという。

その後The Smithsを聴き、70~80年代のブリティッシュ・ニューウェーブやパンクへ進み、The Damnedがお気に入りのバンドとなった。

そこからさらに2010年代前半の新しいイギリスのハードコアへとつながっていく。ロンドンのカムデンにあるUnderworldでThe Rival Mobを観た経験もあり、興味深いことにMegが初めてTurnstileを見たのも同じ会場だった。

当時はメンバーと知り合いだったわけではない。純粋にTurnstileを観に来た一人のファンだった。

ギターを始めたのは10~11歳頃。Megは10代を通して、インディーロックからMidwest Emoまで「ギター・ミュージック」と呼べるものを幅広く聴いていたと話している。

 

ギターを始めるきっかけになった映画『Freaky Friday』

意外な原点として登場するのが映画『Freaky Friday』だ。

Megは9~10歳頃に同作を観て「脳の構造を変えられたような作品」と冗談交じりに表現している。特に強烈に記憶に残ったのが、女性がバンドでギターを弾き、ソロを演奏する姿だった。

地下室でバンド練習をする場面を見て「自分もこうなりたい」「ロック・ガールになりたい」と思い、親にギターを弾きたいと頼むようになったという。

後にハードコア・シーンへ進むMegにとって、最初に「女性がギターを持ってロックバンドで演奏する姿」を具体的に想像させてくれた作品の一つが『Freaky Friday』だった。

メタルやハードコアだけを聴いて育ったわけではなく、ポップカルチャーから受けた影響も隠さず語っている点は、Megの音楽に対する考え方をよく表している。

 

仕事に意味を感じられなかった時期、ハードコアが「光」だった

リーズへ移った当時、Megは決して順調な音楽人生を送っていたわけではない。本人は当時について、将来につながるように感じられない仕事をしながら生活しており、日常はかなり暗かったと振り返っている。

その中で大きな支えになったのが、週末にTemple Of Boomへ行くことだった。

自分のバンドで演奏する。ライブを観る。他のバンドのイベントを企画する。「自分は何をしているんだろう」と感じる日常の中でも、一日の終わりにはライブがある。それが人生に意味を与えるような存在だったという。

Big Cheeseはデモや7インチを発表し、ライブ活動を拡大。ロシアではモスクワ、サンクトペテルブルクでも演奏し、2018年にはTurnstileのイギリス・ツアーをサポートした。最初はTurnstileを観客として見ていたMegが、数年後には自分のバンドで彼らと同じツアーを回るようになっていた。

 

Chubby and the Gang、そして「フルタイムのミュージシャン」になるまで

Big Cheeseのメンバーはそれぞれ他の活動も抱えており、常に精力的にツアーできるバンドではなかった。その後MegはChubby and the Gangにも参加し、2作目ではベースを演奏してレコーディングにも参加した。

ロックダウン後、Chubby and the Gangで最初に演奏したライブはDownload Pilot。そこから約1年半にわたり、かなり継続的なツアー生活へ入っていった。

しかし「音楽だけで生活する」までの道のりは簡単ではなかった。

ツアーが多すぎて一般的な仕事を維持することが難しくなり、公的支援を受けたり、わずかな収入をつないだりしながら生活した時期もあったという。それだけ犠牲を払っても、最終的に音楽で生活できる保証はない。

それでも「いつかこれがフルタイムの仕事になるかもしれない」という可能性を信じ、非常に少ないお金で生活しながら活動を続けた。

 

ホテルではなく床で眠る――DIYツアーで得たもの

Megは、ハードコア・バンドで活動してきた人なら経験することとして、ヨーロッパ・ツアーで毎晩誰かの家の床に泊まったり、ときには犬用ベッドで寝たりするような生活についても語っている。

快適でも豪華でもない。

本人も振り返れば「そのときは普通に苦しんでいた」と認めている。

しかし、その経験があるからこそ生まれる関係もあった。

何週間も一緒に移動し、知らない土地で床に眠り、予想もしない状況を一緒に経験した仲間とは、生涯続くような結びつきが生まれる。そして各地で受けた人々からの親切によって、コミュニティや人間そのものへの信頼が強くなったという。

後にTurnstileの巨大なツアーへ参加するMegも、その出発点では「泊めてくれる人はいないか」と友人へ連絡しながらヨーロッパを回るDIYミュージシャンだった。

 

Brendan Yatesから突然届いた「ギターを弾かない?」という連絡

そして話はTurnstileへつながっていく。

Big Cheeseが2018年にTurnstileをサポートしたことでメンバーと知り合い、その後も連絡を取り続けた。Chubby and the Gangでも2022年のTurnstileのイギリス公演をサポートしている。

その後Chubby and the Gangでの活動が終了し、Megが再びツアーへ出たいと考えていた頃、Brendan Yatesと話す機会があった。「とにかくツアーへ行きたい」と話したことをBrendanは覚えていた。

それから約5カ月後、突然メッセージが届く。

「Turnstileでギターを弾くことに興味はある?」

というものだった。

Megは驚きながらも、ほぼ即答で参加する意思を伝えた。

さらにBrendanから知らされた最初の大仕事が、Blink-182との約3カ月間に及ぶアメリカ・ツアーだった。

あまりに大きな話だったため、Megは実際にアメリカへ向かう飛行機へ乗るまで、自分が本当にツアーへ参加するとは信じないようにしていたという。

周囲にもほとんど話さなかった。

誰かに「Blink-182とツアーする」と言ってしまえば、何かが起きて話自体がなくなってしまうのではないかと感じていた。

ビザが発行され、航空券を持ち、空港まで来たところで初めて「これは本当に起きるんだ」と実感した。

 

Turnstileでの初ライブはいきなり約15,000人のアリーナ

ツアー開始の約2週間前、Megはボルチモアへ渡り、Turnstileの練習場所でリハーサルを行った。

そして最初のライブはミネソタ州セントポール。

会場は約15,000人規模のアリーナだった。

それまでDIYハードコアや小~中規模の会場を中心に活動してきたMegにとって、環境はまったく異なっていた。

しかも最初の公演では照明の設定に問題があり、ステージ上へ最大出力に近い光が直接向けられていた。あまりに眩しく、演奏中に自分のアンプが見えず、つまずいてしまったほどだったという。

Megはその時点では、それが巨大アリーナで毎晩経験する普通の状態だと思っていた。

「これに慣れないといけないのか」と考えながらライブを終えたところ、実は他のメンバーも「今日の照明は何だったんだ」と感じており、通常の設定ではなかったことを知る。

そこでMegは逆に、「これを乗り越えられたなら、残りのツアーは大丈夫」と思えたという。

 

「歴史的な瞬間にいる」と感じるTurnstileのライブ

Turnstileのセットで特に好きな瞬間を聞かれたMegは、「ENDLESS」の終了部分を挙げている。

曲が突然終わり、すべての照明が完全な暗転へ入る。

その瞬間、毎回「これは歴史的なことなんじゃないか」という感覚になるという。

Turnstileがハードコアというジャンルに与えている影響や、自分たちが出演しているライブの規模を考えると、現在進行形で特別な瞬間を経験しているように感じる。

Meg自身はその状況について「自分はただ一緒に乗せてもらっているだけ」と謙虚に表現しているが、実際には幼い頃からギターを弾き、DIYハードコアで長い時間を過ごしてきた彼女自身も、そのステージを構成する一人になっている。

 

初めてのアジアツアー、日本は「今まで行った中でも最高の場所の一つ」

インタビューの直前には、Turnstileとしてタイ、インドネシア、日本、韓国を巡るアジア公演も経験していた。Megにとってアジアを訪れるのは初めてだった。

タイへ到着した際には夜行便の後にもかかわらず、眠るより街を見たいという気持ちが勝り、一人でボートに乗ったり寺院を巡ったりして一日中観光していたという。

ツアー中でもホテルにじっとしていることが難しく、可能な限り外へ出て、その土地を体験したくなるタイプだと話している。

その中でも特に気に入った場所として挙げたのが日本だった。

「日本は今まで行った中でも最高にクールな場所の一つ」と話し、街中で多くの人がバッグにつけているキャラクターのキーホルダーなどにも注目。「日本はtrinkets(小物)の国」と表現し、自身も同じように小物をバッグにつけるようになったという。

 

Turnstileの激しいライブへ身体を適応させる

Turnstileのライブは非常に運動量が多い。

Megも参加当初は、数公演を経験するまで自分がステージ上でどこまで動けるのか分からなかったと話している。

演奏しながら動き続けるためのスタミナを作ることは、本人によればワークアウトに近い。楽曲を確実に演奏する自信を身につけることに加え、広いステージで自分がどこを動くべきなのかを理解するまでにも時間が必要だった。

さらに、すでに完成されているTurnstileのステージ上の「流れ」の中で、自分の居場所を見つけなければならなかった。

しかし何度も一緒に演奏するうちに、他のメンバーが次に何をするのかを予測できる、ほとんどテレパシーのような感覚が生まれてくるという。

 

「ゲートキーピングはシーンを生かさない」

インタビューの中でも特に興味深いテーマとなったのが、Turnstileとメインストリームの関係だ。

Turnstileはハードコアをルーツに持ちながら、現在ではヘヴィ・ミュージックとは直接関係のないフェスティバルや巨大なポップ/ロック・アーティストとのツアーにも出演している。

Megは、この状況を非常に肯定的に見ている。

その一例として挙げたのが、マイアミで開催されたヒップホップ・フェスティバルRolling Loudだった。

Turnstileが出演するまでどのような反応になるのか予測できなかったが、実際には観客の至るところでサークルピットが発生し、一部のヘヴィ・ミュージック系フェスティバル以上に激しくモッシュする観客もいたという。

Megは現在について、異なるサブジャンルの境界を越えた交流をリスナーがこれまで以上に受け入れている時代ではないかと考えている。

そして、ハードコアを外部の人間から守ろうとするゲートキーピングについても否定的だ。

若い頃には、自分自身もハードコアを特別で神聖なもののように感じ、守りたいという気持ちがあったと認めている。

しかし現在は、「ゲートキーピングは、その文化が生き続けることを止めてしまうだけ」と考えている。

閉じたコミュニティが新しい人を拒絶し続ければ、最終的には人が来なくなり、ライブハウスが閉まり、シーンそのものが消えてしまうこともある。

一方、DIYシーンで長年活動し、その価値観を実際に経験してきたバンドが、より大きな観客をその世界へ連れてくるのであれば、それは素晴らしいことだという。

 

Turnstileがハードコアへの「入口」になっている

Megは実際に、普段はPost MaloneやImagine Dragonsなどを聴いている人のSpotifyに、ヘヴィなバンドとしてTurnstileだけが混ざっているような例も目にしているという。また、Spotifyのインディー系プレイリストからTurnstileを知ったというリスナーもいる。

Megはこれについて、Turnstileのソングライティングや創造性の証明ではないかと考えている。

最終的にはハードコア・バンドでありながら、さまざまな音楽から細い糸のように要素を取り込み、一つのサウンドへ織り込んでいる。

だからこそ、それまでハードコアを聴いていなかった人にも入口を作ることができる。

Turnstileをきっかけに別のハードコア・バンドを聴く人が増えれば、その成功は一つのバンドだけに留まらず、周囲のシーンにも広がっていく可能性がある。

 

地下室からBlink-182の巨大プロダクションへ

MegにとってTurnstile加入後に大きく変わったことの一つが、ライブ制作の規模だった。

以前は自分のギターアンプすら所有せず、その日の会場にある機材を借りたり、誰かからアンプヘッドを借りたりしながら演奏していた時期が長かった。

それが現在では、イヤーモニター、クリック、バックトラック、巨大な照明、LEDスクリーンなど、大規模なツアーを成立させるためのシステムを目の前で見るようになった。

特にBlink-182とのツアーでは、毎日巨大なステージが組み立てられ、多くのスタッフが公演を動かしている姿を間近で体験した。

MegはTurnstile自体については、こうした巨大ツアーの中では比較的シンプルな構成だと考えている。照明には大きなこだわりがあるものの、その中心にあるのはあくまで「バンドが音楽を演奏すること」だという。

窓のないリーズの地下室から、数十人のスタッフが一つのバンドを支えるアリーナ・ツアーへ。

Megのキャリアの変化を最も分かりやすく示す部分でもある。

 

失敗を引きずらず、「次はもっと準備する」

キャリア初期で最も大きな失敗は何だったかという質問に、Megは明確な出来事を思い出せないと答えている。

しかし、それには理由がある。

ライブを終えて「今日は自分ができる演奏より良くなかった」と感じることはある。それでも、その失敗を自分の中で必要以上に大きくしないようにしているという。

できなかったのであれば、次回もっと準備する。

それだけのこととして処理する。

失敗を「もう自分にはできない」と思う材料にしてしまえば、自信そのものを破壊してしまうからだ。

長いDIYツアー生活を経て、突然15,000人のアリーナへ立つという環境の変化にも対応できた背景には、このような考え方もあるのかもしれない。

 

Big Cheeseと、自身の新しい音楽も続いていく

Turnstileでの活動だけがMeg Millsの音楽人生ではない。

インタビューの最後ではBig Cheeseのライブ予定に加えて、自身が進めている別のレコードについても語っている。

インストゥルメンタル部分は2021年にすでに録音されており、最近になってボーカル制作を進めているという。

音楽的には初期PJ Harveyから強い影響を受けた作品を目指しており、フォーク、グランジ、ブルースなどを混ぜたロックに、スライドギターも取り入れている。

ハードコアだけでなく、幼い頃から幅広い「ギター・ミュージック」を聴いてきたMegらしいプロジェクトと言える。

 

一人のTurnstileファンから、その歴史の一部へ

Meg Millsのこれまでを並べてみると、現在のTurnstile参加へつながる出来事は一つだけではない。

10歳頃、『Freaky Friday』を観てギターを弾きたいと思った。

10代でMy Chemical RomanceやParamore、The Damnedを聴き、やがてハードコアへ辿り着いた。

ロンドンのカムデンにあるUnderworldでは、一人のファンとしてTurnstileを観た。

19歳でリーズへ移り、地下室でBig Cheeseを始めた。

2018年にはそのBig CheeseでTurnstileのツアーをサポートした。

Chubby and the Gangでも再びTurnstileと共演し、Brendan Yatesとの関係が続いた。

そして「またツアーへ行きたい」と話した数カ月後、Brendanから「ギターを弾かないか」という連絡が届いた。

最初に待っていたのは、小さなクラブツアーではなくBlink-182と回るアメリカの巨大アリーナだった。

こうして振り返ると劇的なサクセスストーリーに見えるが、その間には、仕事を続けられないほどツアーへ出ながらわずかな収入で生活した時期や、誰かの家の床を借りながら各地を回った年月が存在する。

Meg自身は、Turnstileが現在経験している巨大な瞬間について「自分はただ一緒に乗せてもらっている」と話す。

しかし、一人のファンとしてTurnstileを見ていた人物が、十年以上ハードコア・シーンで活動を続け、そのステージに立つところまで辿り着いた。

その歩みそのものもまた、DIYハードコアのコミュニティから世界規模へ成長した現在のTurnstileを取り巻く物語の一部と言えるだろう。

 

参照元動画

Knotfest「SHE’S WITH THE BAND Episode 58: Meg Mills (TURNSTILE, BIG CHEESE)」

Turnstileのルーツを作った音楽とは? Thin Lizzy、My Chemical Romance、Frank Ocean、Minor Threatらをメンバーが選び語る

ハードコアを出発点としながら、ロック、オルタナティヴ、ポップ、ソウル、ダンスミュージックなど幅広い要素を取り込み、独自の存在へ成長してきたTurnstile。その音楽的な幅広さがどこから生まれているのかを知るうえで、メンバー自身が愛するレコードを見ていくのは興味深い。

ARTE.tv Cultureの「Turnstile Record Box」では、ベルリンを訪れたTurnstileのメンバーがレコードを選び、それぞれの作品やアーティストにまつわる思い出を語っている。

登場するのはThin Lizzy、My Chemical Romance、Frank Ocean、Minor Threat、Angel Du$t、Blood Orangeなど。ハードコアだけに限定されない選曲からは、現在のTurnstileが非常に多様な音楽の上に成り立っていることが見えてくる。

 

Thin Lizzyへの深い愛情

最初に選ばれたのはThin Lizzyの作品だった。メンバーの一人は「史上最も好きなレコードの一つ」であり、Thin Lizzyの作品の中でも特にお気に入りだと語っている。インタビュー収録の少し前にはTurnstileのツアーがダブリンから始まっており、現地ではPhil Lynottの像も訪れたという。

さらに、以前在籍していたChubby and the GangでもThin Lizzyはメンバー共通のお気に入りだったと振り返る。友人から腕にThin Lizzyをモチーフにした小さなタトゥーを入れてもらったこともあり、単に好きなクラシック・ロック・バンドという以上の思い入れがあるようだ。

選ばれた楽曲は「Waiting for an Alibi」。Turnstileのサウンドとは直接結び付きにくいように見えるThin Lizzyだが、強力なギターメロディとロックバンドとしての存在感は、メンバーにとって重要な音楽的ルーツの一つになっている。

 

My Chemical Romanceを後から理解するようになった

続いて取り上げられたのがMy Chemical Romance。

メンバーの一人は、若い頃には最初からMy Chemical Romanceを好きだったわけではなく、むしろ少し否定的に見ていた時期があったと振り返っている。しかし後になって音楽を理解するようになり、メロディやギターパート、そして「バンドとして鳴っている」感覚に強く惹かれるようになったという。

その音楽には個人的な記憶も結び付いている。

Pizza Hutで働いていた頃、厨房を掃除しながらこの作品を聴いていたことを思い出すと話し、今では非常に大切なレコードとして評価している。映像で選ばれた曲は「Cemetery Drive」。

音楽を聴いた瞬間の評価が、そのまま一生変わらないとは限らない。若い頃には理解できなかった作品が、時間や経験を重ねることで突然重要なものになる。TurnstileのメンバーにとってMy Chemical Romanceは、そのような音楽の一つだったようだ。

 

Frank Ocean『Blonde』は日常生活に溶け込むレコード

Turnstileの幅広い音楽性を象徴する選盤の一つがFrank Oceanの『Blonde』だ。この作品について、メンバーは晴れた日の午後、家事をしながら聴くのが好きだと説明している。

激しいライブやハードコア・シーンとの思い出ではなく、日常生活の中で自然に流れている音楽として選ばれている点も興味深い。

Turnstileはハードコアをバックグラウンドに持ちながら、作品を重ねるにつれてメロディ、空間的なサウンド、ポップ的な感覚などを大きく広げてきた。今回のレコード選びからも、メンバーが日常的に聴いている音楽がハードコアだけに限定されていないことが分かる。

Frank Oceanのようなアーティストも、Turnstileのメンバーにとって特別な音楽の一部として存在している。

 

Minor Threatが教えた「仲間に反抗する」という考え方

Turnstileのルーツを考えるうえで、やはりハードコアは欠かせない。そこで登場するのがMinor Threatだ。

Turnstileはメリーランド/ワシントンD.C.周辺のシーンと強く結び付いており、Minor Threatについてメンバーは当然ながら非常に影響力の大きいバンドだと語っている。しかし、ここで注目されているのは単純な音楽性ではない。

Minor Threatについて最も好きな部分として語られたのが、「社会や権力に反抗するだけではなく、自分の周囲にいる仲間にも逆らう」という考え方だった。

政府や社会制度など巨大な存在に対して反抗的な姿勢を示すことは、パンクでは珍しいことではない。しかし、自分と同じシーンにいる仲間が全員同じ方向へ進んでいるときに、自分だけ違うことをするのははるかに難しい。

周囲に合わせるのではなく、自分が本当にやりたいことを選ぶ。

動画では、それこそがMinor Threatによってハードコアやパンクの精神性に持ち込まれた重要な要素だったのではないかと語られている。この考え方は、Turnstile自身の歩みにも重ねることができる。

ハードコア・バンドだから特定の音を出さなければならないという考えに従うのではなく、自分たちが面白いと思った音楽へ進む。その結果としてTurnstileは従来のハードコアの枠を大きく越えていった。

Minor Threatから受け継いだものは、単なる速いギターやハードコアの形式ではなく、「周囲に合わせない」という精神そのものなのかもしれない。

 

Angel Du$tとJustice Trippから受けた大きな影響

より直接的にTurnstileの歴史とつながっている存在として紹介されるのがAngel Du$tだ。特にJustice Trippについて、メンバーはTurnstileに最も大きな影響を与えた人物の一人ではないかと語っている。

まだ若く、ライブへ通い始めた頃からJusticeは年上の存在として彼らを気に掛け、ライブへ連れていったり、当時組んでいた地元のバンドを応援したりしていたという。

その後、Turnstileの複数のメンバーがAngel Du$tにも参加しており、両バンドの関係は単に同じシーンから生まれたという以上に深い。

Justiceについて、音楽の世界には時折「ユニコーン」のような特別な人物がいると表現し、彼が常に他の人より10歩ほど先を進んでいるように感じるとも語っている。同時に、Baltimoreを代表する存在であり、大切な友人でもある。

今回選ばれたAngel Du$tの作品については、Turnstileのメンバーが参加していない作品であるため、純粋にファンとして外側から楽しめることも嬉しいと話している。選曲は「Space Jam」。何年もさまざまな形で聴き続けている曲であり、本人にとって生命力のようなものになっているという。

Turnstileの歴史を考えるとき、影響は有名な過去のバンドだけから受けるものではない。自分たちと同じ地域にいて、実際にライブへ連れていってくれた人物や、活動を支えてくれた仲間もまた、そのバンドを形成する大きな存在になる。

 

Blood Orangeは「音楽を作る人として深く尊敬している」

最後に強い愛情が語られるのがBlood OrangeのDev Hynesだ。

メンバーは以前からBlood Orangeの音楽を知っていたものの、ある時期から本格的に夢中になったという。現在ではDev Hynesについて「音楽を作る人として最も好きな人物の一人」と表現している。

さらに、単に憧れているアーティストというだけではなく、現在は素晴らしい友人でもあると語っている。

ここでもAngel Du$tのJusticeと同じように、「ユニコーン」という表現が使われている。音楽の進化を追うこと自体が刺激になり、常にその作品へ惹き付けられる特別な人物だという。

動画収録時には新作『Essex Honey』についても触れ、現在最も好きなアルバムだと話している。一方で、その日の気分によってお気に入りの作品が変わること自体も、音楽ファンとして楽しいと語っている。

今回選ばれた曲は「Augustine」だった。

ハードコア、クラシック・ロック、エモ、R&B、オルタナティヴ・ポップなど、まったく異なる場所から生まれた音楽を同じように愛している。その姿勢は、Turnstileが特定ジャンルのルールに閉じ込められない理由とも重なって見える。

 

Turnstileの音楽がジャンルを越えていく理由

今回の「Record Box」で選ばれた音楽を見ると、Turnstileがなぜ現在のようなサウンドになったのか、その一端が見えてくる。

Thin Lizzyから受け取ったロックバンドとしてのメロディや存在感。

My Chemical Romanceの強烈なメロディとギターパート。

Frank Oceanの『Blonde』のように日常へ自然に入り込む音楽。

Minor Threatが示した、社会だけでなく同じ仲間に対しても自分自身の考えを貫くというパンクの精神。

Angel Du$tとJustice Trippを通じて経験したBaltimore周辺のコミュニティ。

そしてBlood Orangeの絶えず変化する音楽への憧れ。

これらは一見するとバラバラだ。

しかしTurnstileの音楽自体もまた、さまざまな要素が一つに結び付いている。

重要なのは、どのジャンルに所属するかではなく、自分たちが強く惹かれる音楽を受け入れることなのだろう。

その意味で特に象徴的なのが、Minor Threatについて語られた「仲間に逆らうことの方が難しい」という考え方だ。

ハードコアの中で育ったからこそ、ハードコアの中で期待される音楽を作り続けるという選択肢もあった。しかしTurnstileは、周囲から何と呼ばれるかより、自分たちが面白いと思うものを音楽へ取り込み続けてきた。

今回選ばれたレコードは、その自由な感覚が突然生まれたものではなく、メンバーが長い時間をかけて聴いてきた多様な音楽や、身近なコミュニティの中から育ってきたことを感じさせる。

Turnstileのサウンドを作っているのは、ハードコアだけではない。

むしろ、ハードコアを中心に置きながら、そこへまったく異なる音楽を自然に受け入れる姿勢そのものが、Turnstileというバンドの大きな特徴なのかもしれない。

参照元動画

ARTE.tv Culture「Turnstile Record Box」

父親になったOli Sykesが語る「20年かけて掴んだ成功」と家族――Bring Me The Horizonと人生をどう両立するのか

Bring Me The Horizonは現在、世界各地の大型フェスティバルでヘッドライナーを任される存在になった。しかし、バンドが約20年かけてその位置へ辿り着いたタイミングで、Oli Sykes自身の人生には大きな変化が起きている。

Nick Nocturnalとの長時間インタビューでOliが語ったのは、父親になったことで変化した価値観、長期間のツアーから家族のもとへ戻れない苦しさ、そしてBring Me The Horizonという「20歳の子供」と、自分自身の子供たちを同時に育てるような現在の葛藤だった。

さらに後半では、かつてバンドの成功と自分自身の価値を強く結び付けていた時期、ロックダウン中に再び精神的に不安定になった経験、そして「音楽は競争ではなく、人へ何かを与えるためのもの」という考えに辿り着くまでを振り返っている。

 

ブラジルで見つけた、バンドから離れられる生活

Oliにとってブラジルは、Bring Me The Horizonや「Oli Sykes」というパブリックイメージから距離を置き、生活の速度を落とすための場所になっている (*Oliの妻Alissaはブラジル人)。

イングランドにいると仕事を続けてしまい、バンドから精神的に離れることが難しい。一方、ビーチが身近にあり、生活そのものがゆっくり流れるブラジルでは、意識的に仕事から離れやすいという。

そして現在は子供たちもいる。

家族だけに集中し、外部の雑音から距離を置く環境としても、ブラジルでの生活はOliにとって重要になっているそうだ。

 

「もう1カ月もツアーしたくない」と感じるようになった

父親になったことで最も大きく変わったものの一つが、ツアーに対する感覚だった。

子供たちがまだ非常に幼かった頃にも家を離れることはつらかったが、成長して笑ったり遊んだり、自分の存在を認識するようになると、その苦しさはさらに大きくなったという。

今回の長期ツアーについてOliは、あまりにつらく「もう二度とこんなことはできないかもしれない」と感じるほどだったと明かしている。しかし、Bring Me The Horizonにとって現在は非常に重要な時期でもある。

20年活動してきた末に、ようやく大型フェスティバルで本格的なヘッドライナーとして信頼され始めた。MetallicaやSystem Of A Downのような長年巨大フェスティバルを支えてきた存在から、新しい世代へヘッドライナーの座を引き継ぐことは簡単ではない。

だからこそ、このタイミングで活動を減らすことにも葛藤がある。

せっかくフェスティバル主催者がBring Me The Horizonをヘッドライナーとして信頼し始めたのであれば、それを一度きりの出来事ではなく、確実なものにしたいという思いもあると話す。

 

お金を残すことと「そばにいること」は同じではない

Oliは父親として、子供たちの将来を経済的に支えたいという強い気持ちも持っている。

大きな出演オファーが届けば、それを受けることで家族へ経済的な安定を与えることができる。しかし同時に、将来子供たちが父親について振り返ったとき、本当に重要になるものはお金ではないのではないかとも考えるようになった。

20年後に子供たちが感謝するのは「たくさんのお金を残してくれたこと」ではなく、「自分のそばにいてくれたこと」なのではないか。

バンドを大切にする気持ちと、家族と過ごす時間。その両方が重要だからこそ、現在のOliにとって簡単な答えのない問題になっている。

 

Bring Me The Horizonの成功が「自分の価値」になっていた

インタビュー終盤では、Oliがさらに深い部分について語っている。

コロナ禍のロックダウン以前の彼は、自分が思っていた以上に、Bring Me The Horizonの成功から精神的な満足や自己肯定感を得ていたという。

Spotifyの月間リスナー数を確認し、ライブがソールドアウトしなければ十分ではないと感じる。グラミー賞などにノミネートされても受賞できなければ、「受賞したアーティストと自分たちの違いは何なのか」と考える。

バンドが小さな存在だった頃にはなかった考え方が、「次の巨大なロック・ヘッドライナーになるかもしれない」と言われ始めたことで徐々に入り込んできた。

成功が現実的になればなるほど、「どうすればさらに上へ行けるのか」を考えるようになり、それが自分自身の価値とも結び付いていった。

 

ロックダウンで「バンドがなければ自分は誰なのか」と気付く

しかしロックダウンによってライブもツアーも止まり、その外部から得ていた評価が突然消えた。Oliは再び薬物に陥り、非常に暗い状態になったという。

そこでセラピーを受けながら、「Bring Me The Horizonがなければ、自分は誰なのか」という問題と向き合うことになる。

バンドはいつか終わるかもしれない。人気が突然なくなる可能性だってある。

もし自分の価値をすべてバンドに預けてしまえば、バンドを失った瞬間に自分自身まで失ってしまう。そこからOliは、Bring Me The Horizonがなくても自分が幸せでいられる人生を作ることを意識するようになったという。

 

「20,000人でも10人でも同じ」――音楽は人に仕えるもの

その考えを大きく変えた経験の一つが、ブラジルでの時間だった。

Oliは妻の故郷近くにあるアシュラムを訪れ、僧侶や精神的な指導者たちの話を聞いたという。そこで印象に残ったのが、観客数についての考え方だった。

20,000人の前で演奏することに興奮してもいい。しかし10人しかいない場所でも、その10人に向けて同じように演奏する。

重要なのは自分が何人集めたかではなく、その場所にいる人へ自分の持っているものを届けることだという話だった。Oliはそこで、自分の音楽についても「人に仕えるもの」と考えるようになったという。ストリーミング数や他のバンドとの競争ではない。自分たちが巨大なバンドなのかどうかでもない。音楽によって誰かを助け、自分たち自身が本当に興奮できる作品を作る。それが重要なのだと考えるようになった。

 

 

Bring Me The Horizonを何で記憶してほしいのか

Oliは、10年後や20年後にBring Me The Horizonについて振り返ったとき、「一番大きなTikTokヒットを持っていたバンド」として記憶されたいわけではないと話している。残したいのは「とんでもない音楽を作ったバンド」という記憶だ。

自分自身がBring Me The Horizonの音楽を好きでいられること。本当に良いと思えるまで曲を完成させ、それを自分自身でも何度も聴きたくなること。現在のOliにとって、それが活動を続ける基準になっている。

20年かけて世界最大級のロック/メタル・バンドの一つへ辿り着いたタイミングで、彼はむしろ「最大になること」そのものから距離を置こうとしている。

父親としての人生を築き、バンドの外側にも自分自身を持ちながら、それでもBring Me The Horizonでは自分が最も興奮できる音楽を作る。

現在のOli Sykesにとって成功とは、以前とは少し違ったものになっているようだ。

 

 

## 参照元動画

「OLI SYKES on Count Your Blessings Repented, Sempiternal & Deathcore Era」

ArchitectsのSam Carterが語るMetallica、Linkin Parkとのツアー、Kornへの期待、そしてライブにおける観客との関係

世界各地の大型フェスティバルやアリーナへ活動規模を広げてきたArchitects。フロントマンSam Carterが、Sonic Temple Festival 2026でThe Jesea Lee Showのインタビューに登場し、アメリカでのフェスティバル出演、MetallicaやLinkin Parkとのツアー経験、これから始まるKornとのツアー、ライブでスマートフォンを使用する観客についての考え、楽曲のリミックス、そして自身が愛するニューメタルについて語った。

インタビューが公開されたのは2026年5月26日。番組ではArchitectsが巨大なUSフェスティバルについて語るほか、MetallicaやLinkin Parkとのツアーから学んだこと、ライブにおける「雰囲気」の重要性、ファンとの関係などが主要なテーマとなっている。

現在のArchitectsは、自分たちが憧れてきたバンドと同じステージへ立つだけではなく、その先輩たちから「大きなバンドがどのように振る舞うべきか」まで学ぶ立場になっている。なかでもSamがMetallicaとのツアーを振り返る場面からは、世界最大級のバンドがサポート・アクトへ向ける姿勢がArchitects自身にも大きな影響を与えていることが分かる。

 

アメリカの巨大フェスティバルで感じたArchitectsの成長

インタビューの冒頭では、その前週に出演したWelcome to Rockvilleについて話している。Samは同公演を「アメリカでやった中でもお気に入りのショーの一つ」と振り返り、集まった観客の大きさについても驚きを語っている。

特に印象的だったのは、アメリカでありながらヨーロッパでライブをしているような感覚があったことだった。Architectsは長年ヨーロッパの大型フェスティバルへ出演してきたが、近年のアメリカで開催される大規模なロック/メタル・フェスティバルにも、それに匹敵する巨大な観客が集まるようになっている。

Samはアメリカのフェスティバルについて、ヨーロッパでは3日間に分散していそうなほど豪華なラインナップが、一日に集まっているような感覚だとも話している。アメリカ国内で活動するバンドにとっては、週末だけフェスティバルへ飛んで出演し、その後帰宅するような動きも可能であり、それが強力なラインナップを作りやすくしているのではないかと分析している。

Welcome to Rockvilleでは悪天候によってArchitectsの出演時間が数時間後ろ倒しになったものの、結果的には暗くなってから演奏できたことで、むしろバンドの雰囲気には合っていたという。SamはArchitectsの音楽について非常にムーディーな側面があると話し、Sleep Tokenを例に挙げながら、明るい昼間よりも暗い時間帯の方が似合うタイプの音楽ではないかと語っている。

 

Bring Me The Horizon、Parkway Drive、Bad Omens――巨大化するライブ演出

現代の大型ロック/メタル公演では、音楽だけではなくステージ演出も年々巨大になっている。

インタビューでは巨大ビデオウォールなどの演出についても話題になり、SamはBring Me The Horizon、Parkway Drive、Bad Omensなどのプロダクションを高く評価している。

Architects自身はその公演でパイロを使用せず、大型のビデオウォールを中心とした演出を行っていた。一方で、大型フェスティバルでは多くのバンドが炎を使用するため、一日中見ていると次第に珍しさがなくなってしまうという冗談も飛び出した。

その中でもParkway Driveについては、ドラムセットそのものを炎に包みながら回転させるほど徹底しており、やるのであればそのくらいまで突き抜けるべきだという話になる。

Samは長年Parkway Driveと同じフェスティバルへ出演してきたなかで印象的だった光景として、Winston McCallが巨大なサークルピットの中心に立ち、その周囲を何千人もの観客が回っていた場面も振り返っている。自分だったら絶対にやりたくないと笑いながら話すほど、強烈な光景だったという。

 

次はKornと5週間――「ずっと大好きだったバンド」

Sonic Templeを終えたArchitectsは、短い休暇を挟んでヨーロッパでの活動へ入り、その後Kornと約5週間にわたるツアーを行う予定だと話している。

SamにとってKornは特別な存在だ。フェスティバルで同じラインナップになった経験はあるものの、本格的なツアーを一緒に行うのは初めてであり、オファーが届いた際には即座に喜んだという。

Architectsの友人でもあるSpiritboxがすでにKornとのツアーを経験しており、素晴らしい時間を過ごしたと聞いていることも安心材料になっている。数週間にわたって同じバンドと行動する以上、音楽的な憧れだけではなく、実際にどのような環境でツアーをすることになるのかは重要な問題だからだ。

近年のArchitectsはLinkin Park、Metallicaといった巨大なバンドのサポートも経験しており、Samはそれらのツアーで非常によく扱ってもらったと振り返っている。

 

Metallicaから届いた花とJames Hetfieldのケーキ

このインタビューで特に印象的なのが、Metallicaとのツアーについてのエピソードだ。

Samによれば、Metallicaはサポート・バンドへの接し方を非常によく理解していた。ツアー初日にはArchitectsへ花が届き、さらにJames Hetfieldからケーキまで贈られたという。Lars Ulrichは多くの日にArchitectsのメンバーと過ごし、Hetfield自身も彼らのもとへ顔を出していた。

さらにライブ終了後にはMetallicaから毎晩のように夕食へ招待され、貸し切られたレストランなどで一緒に食事をしたという。重要なのは、こうした行動が撮影やプロモーション目的ではなかったことだとSamは強調している。周囲にカメラがいるわけでもなく、SNSへ投稿するための演出でもない。ただ純粋にツアーへ参加したバンドを歓迎していた。

このエピソードはインタビュー公開後にも取り上げられ、SamはMetallicaがArchitectsを「100万ドルの気分」にさせてくれたと語っている。

Architects自身も以前からサポート・バンドに対してきちんと接することを心掛けていたという。しかしMetallicaの姿を見たことで、単に問題がないか確認するだけではなく、「本当に歓迎されていると感じてもらうこと」の重要性を学んだ。

世界最大級のバンドでありながら、自分たちより下の出演順にいるアーティストへ時間と気遣いを使う。それがSamにとって、今後自分たちがさらに大きなバンドになっていくうえでの一つの手本になったようだ。

 

Linkin ParkもArchitectsをすぐに仲間として迎えた

Linkin Parkとのツアーでも似た経験があった。

Samによれば、初日からLinkin ParkはArchitectsを楽屋へ招き入れ、Mike Shinodaから直接メッセージが届き、一緒に歌おうと誘われるような関係になった。

MetallicaとLinkin Parkはどちらも世界最大級のバンドであり、Architectsに対して特別な気遣いをする義務があるわけではない。それでも自然にコミュニケーションを取り、サポート・アクトをツアーの仲間として受け入れていた。

だからこそSamは、これから始まるKornとのツアーにも大きな期待を寄せている。

もしKornのステージで一曲歌えるとしたら何を選ぶかという質問には、「Blind」や「Here to Stay」を候補として挙げている。「Freak on a Leash」ももちろん好きだが、観客としてJonathan Davis本人のパフォーマンスを見たいというファン心理も語っており、SamにとってKornが単なるツアー相手ではなく、長年聴き続けてきた憧れのバンドであることがうかがえる。

 

観客にマイクを向ける理由――「自分たちの曲を歌ってくれるのが嬉しい」

話題はライブにおける観客との関係へ移っていく。

Samは「Animals」などの大きなシンガロングが生まれる曲で、頻繁にマイクを観客へ向ける。しかし妻から、観客は自分たちだけで歌いたいのではなくSam本人の歌も聴きに来ているのだから、少なくとも何度かは自分で歌った方がいいと指摘されたという。

Sam自身もその意見を理解している。それでもマイクを観客へ向けたくなる理由は、自分たちが作った曲が大勢の人々へ届き、その人々が一斉に歌っている光景を聴くことが純粋に嬉しいからだ。

楽曲を制作していた時点では存在しなかった何千人もの声が、ライブ会場で突然自分たちへ返ってくる。そこにはアーティストにしか経験できない特別な喜びがある。

一方で、観客側からすれば、その曲を作った本人のボーカルを聴くためにチケットを購入している。Samは両方の気持ちを理解し、「Animals」ではどこを観客に任せ、どこを自分で歌うかを意識するようになったと話している。

 

ライブ中のスマートフォンを禁止するつもりはない

現在のライブでは避けることのできないテーマとなったスマートフォンについてもSamは率直に語っている。

ステージへ出た瞬間、客席に大量のスマートフォンが掲げられている光景には、今でも不思議な感覚があるという。また、もし自分がスクリームを失敗すれば、それがすぐInstagramやTikTokへ投稿される可能性もあり、演奏者側には以前とは違ったプレッシャーも存在する。

それでもSamは、ライブ中のスマートフォンを否定する立場ではない。

Toolなどが採用しているような、スマートフォンを専用ケースへ入れて使用できなくする公演を経験した際には、ライブそのものへ完全に集中できて素晴らしかったと認めている。しかしArchitectsの観客に対して同じことを強制する考えはないという。

チケットを購入してライブへ来た人が、映像を撮りたい、写真を残したい、後で見返したいと考えるのであれば、それもその人なりの楽しみ方だと受け入れている。

そしてスマートフォンを持っているからといって、現在のArchitectsの観客がライブへ参加していないとも感じていない。スマートフォンを掲げながら歌う人もおり、シンガロングの大きさも失われていない。

Samにとってライブで最も重要なのは、観客から返ってくるエネルギーだという。

Architectsは観客から少しでも大きな反応が返ってくれば、それ以上のエネルギーをステージから返そうとする。Samは観客をライブの「心臓」のような存在として捉えており、観客が興味を示さなければ、そのライブ自体が成立しないと話している。

 

リミックスでArchitectsの楽曲に新しい生命を与える

近年Architectsは楽曲のリミックスも発表している。

きっかけは、ライブ映像などSNS用コンテンツに毎回同じ楽曲を使用することへメンバー自身が飽きを感じ始めたことだった。Dan Searleが楽曲のリミックスを制作するようになり、ライブ終了後のBGMなどとして使用したところ、ファンからフルバージョンやEPを求める反応が寄せられた。

「Everything Ends」のリミックスが好評だったことから、「Broken Mirror」でも別バージョンを制作し、オリジナルとは違った側面を楽しめる形で公開することになったという。

Samはこうしたリミックスについて、既存の楽曲へ新しい生命を与え、ファンが再びその曲を好きになるきっかけにもなると考えている。

バンドが同じ楽曲を別の文脈へ置き直すことで、作品そのものを長く生かすことができる。Architectsが現在もヘヴィ・ミュージックの枠内だけで自分たちを固定せず、新しい表現を試していることが分かるエピソードでもある。

 

DeftonesかLinkin Parkか――Sam Carterのニューメタル愛

インタビューの最後には、複数のバンドから一組を選び続けるゲームが行われ、Samはニューメタルを選択する。

最初に強烈な支持を見せたのがDeftonesだった。

Limp Bizkit、Slipknot、Korn、Mudvayne、Drowning Pool、Disturbedなどが次々と候補に登場するものの、Samはほとんど迷うことなくDeftonesを選び続ける。「Deftonesは自分にとってエリート」と表現し、ツアーが終われば『White Pony』のタトゥーを入れる予定だと話すほど強い思い入れを明らかにしている。

しかし、最後にDeftonesとLinkin Parkの二択になると大きく迷う。

両方を非常に愛していると話しながら、最終的にはLinkin Parkを選択。その後はEvanescence、Papa Roach、P.O.D.、Staind、Sevendust、Kittie、System Of A Downなどを相手にしてもLinkin Parkを選び続け、最終勝者となった。

特にLinkin ParkはArchitectsが実際にツアーをともにし、Sam自身がステージで共演したバンドでもある。幼少期から愛してきた音楽が、現在では自分自身のキャリアと直接つながっていることも、このインタビューを象徴する部分の一つだろう。

 

巨大なバンドからArchitectsが受け継いでいるもの

今回のインタビューから見えてくるのは、単にArchitectsがMetallica、Linkin Park、Kornのような巨大なバンドとツアーできるまで成長したという事実だけではない。

Sam Carter自身は現在もKornやDeftones、Linkin Parkについて、一人のファンとして興奮しながら話している。一方でArchitectsもまた、次の世代から見ればすでに大きな影響力を持ったバンドになっている。

だからこそ、Metallicaから受けた扱いが強く心に残ったのだろう。

サポート・バンドへ花やケーキを送り、楽屋へ顔を出し、ライブ後には一緒に食事をする。それを誰かに見せるためではなく、ごく自然に行う。

Samはその経験から、自分たちもサポートするバンドへより意識的に気を配り、本当に歓迎されていると感じてもらうことの大切さを学んだ。

音楽そのものだけではなく、ツアーでの振る舞い方や、後輩のバンドとの接し方まで次の世代へ引き継がれていく。

Welcome to Rockvilleでヨーロッパと同じほど巨大な観客を前にし、MetallicaやLinkin Parkとのツアーを経験し、次は少年時代から愛してきたKornと長期ツアーへ向かうArchitects。その現在地は、長年メタルコアの中で歩んできた彼らが、新たな段階へ入っていることを感じさせる。

参照元動画

The Jesea Lee Show「Architects Interview – Touring With Korn, Linkin Park & Metallica (Sonic Temple Festival 2026)」

 

ArchspireのOliver Rae Aleronが教える「インヘイル・スクリーム」――高速デスボイスを支える呼吸、舌の使い方、リラックスの重要性

テクニカル・デスメタル・バンドArchspireで、驚異的なスピードのボーカルを披露するOliver Rae Aleron。その特徴の一つが、息を吐きながら発声する一般的なエクストリーム・ボーカルだけでなく、息を吸いながら声を出す「インヘイル (吸い込む)」を組み合わせていることだ。

YouTube動画「Archspire’s vocalist teaches me his insane inhale technique」では、Oliverが実際にインヘイルの発声方法を実演しながら、呼吸、喉の状態、舌の位置、高音と低音の作り分けなどを解説している。

Oliverはディジュリドゥ (オーストラリア先住民アボリジニの伝統的な管楽器で、世界最古の金管楽器の一つ)の演奏からサーキュラー・ブリージング (*循環呼吸。息を吐きながら同時に鼻から息を吸い、音や演奏を途切れさせずに出し続ける管楽器などの特殊な奏法)を身につけ、それをボーカルにも取り入れているという。

エクスヘイル (吐き出す)とインヘイル (吸い込む)を切り替えることで、ほとんど途切れることなくボーカルを続けられることが、Archspireの異常なまでに高速なボーカル・スタイルを成立させる要素の一つになっている。

ただし、動画の中でOliverが繰り返し強調しているのは「強く吸い込むこと」ではない。

むしろ重要なのは、その反対にある「リラックス」だった。

 

まずは声を出す前に「呼吸」を整える

Oliverが最初に行うのは、いきなりインヘイル・スクリームを出すことではない。

ウォームアップとして紹介しているのが、一般的なボックス・ブリージングに近い呼吸だ。

鼻から息を吸い、腹部や横隔膜周辺まで十分に膨らませる。その状態を少し保ったあと、口からゆっくり息を吐き切る。

本人は横隔膜周辺を意識的に膨らませることで、そこから発声するための力を得やすくなると説明している。

しかし、それ以上に重要なのが上半身を硬くしないことだという。

インヘイルでは喉周辺を力ませず、身体をリラックスさせることが重要になる。Oliverは「呼吸はあらゆることに役立つ」と話し、まず身体全体を落ち着いた状態へ持っていくところから練習を始めている。

 

インヘイルは「大量の空気を一気に吸う」ものではない

「息を吸いながら叫ぶ」と聞けば、大きく空気を吸い込むような発声を想像するかもしれない。

しかしOliverの説明は逆だ。

強く息を吸い込む必要はなく、身体をリラックスさせながら、非常に細い空気の流れを喉の中で共鳴させる。

Oliverは、完全な吸気と呼気のどちらかへ大きく振り切るのではなく、その中間に浮いているような感覚として説明している。

その小さな空気の流れを維持できるようになると、そこから力を加えたり、高音や低音へ変化させたりできる。

最初から最大音量を出そうとするのではなく、まず空気が共鳴する場所を探すことが基本になるという。

 

基本形は「O」の口と、後ろへ引いた舌

Oliverが最初に実演する基本的なインヘイルでは、口を「O」のような形にする。

舌は後方へ引き、その両側を通すような感覚で非常にゆっくり空気を取り込む。

ここでもポイントになるのは、一度に大量の空気を入れないことだ。

Oliverは、最初から高音も低音も完璧に出そうとする必要はないと説明する。まず自分が自然に出しやすい音域を見つけ、口と舌の形を確認しながら、力まず安定した音を作る。

動画内で実際に挑戦した側も、最初は高めの音が出やすい状態だった。そのためOliverは、空気量を制限したまま、もう少し低い共鳴位置を探すよう指導している。

 

低音と高音では「舌の形」が大きく変わる

Oliverのインヘイル解説で特に興味深いのが、音程を変える際の舌の使い方だ。

低い音を作る場合、胸を広げる感覚を持ちながら、舌をトンネルやチューブのような形にする。

一方、高い音では舌の両側を歯へ押し当て、舌先と歯の間に非常に小さな隙間を作る。

この隙間によって、笛のような高い音程を発生させるという。

実際、Oliverは身体側の発声を大きく変えなくても、舌の位置だけを変化させることで音程を上下させている。

インヘイルの高音について本人は、かなり「口笛」に近い仕組みとして説明している。

 

高音と低音を同時に鳴らすこともできる

さらにOliverは、高い笛のような音と低い共鳴音を組み合わせることで、二つの音程が同時に鳴っているようなサウンドも実演している。

口の前方では舌と歯の小さな隙間から高音を作りながら、身体側では低い共鳴を維持する。

結果として、一つの声でありながら高音と低音が重なったような異様な響きになる。

Archspireのボーカルが単純な低音ガテラルや高音スクリームだけでは説明しにくい理由の一つは、こうした細かな音色の操作にあるのかもしれない。

Oliver自身も、身体全体を大きく変えるというより、舌を動かすことでさまざまな響きを作り分けている。

 

「喉で作ろうとしすぎない」

動画での練習中、挑戦者はインヘイルの振動を強く喉に感じていた。

それに対してOliverは、エクスヘイル・ボーカルを覚え始めた頃と似ていると説明している。

初心者はどうしても「喉から音を出している」感覚が強くなる。しかし慣れるにつれて、口や胸など別の場所に共鳴を移していくことができる。

Oliverはインヘイルでも同様に、喉の一点だけへ集中するのではなく、胸側から音が出ているようなイメージを持つことを勧めている。

さらに「もっと強い音を出そう」と大量の空気を取り込むのではなく、吸う量そのものを減らすことも指摘している。

大きな音=大量の空気ではないという考え方が、この動画では何度も登場する。

 

「Red Goliath」ではコーラス部分をインヘイルで歌っている

単純な音を出せるようになった後、次の課題になるのが「言葉」だ。

Oliverによれば、インヘイルで言葉を発音することはさらに難しい。

一方で、既に発音を知っている単語を使うことで、口の中をどう変化させればよいのか理解しやすくなる可能性もあるという。例として使われるのが、Archspireの「Red Goliath」である。

Oliverは同曲のコーラスにあたる部分で、多くのインヘイルを使用していることを説明し、実際のフレーズを使って練習を行っている。

発音を明確にするためには、舌だけでなく口や頬を使って子音や母音を強調することも必要になる。つまり、インヘイルの音を出せるだけではArchspireのようなボーカルにはならない。その状態を維持しながら言葉を発音し、さらに高速な楽曲の中で使えるようにする必要がある。

 

「引っかき傷」のような感覚があれば問題かもしれない

実演の中でOliverは、自分がインヘイルを行っている際、「喉にスクラッチ感がない」と説明している。

もし引っかくような違和感があれば、それは良くない状態かもしれないという認識を示している。

また本人は蒸気を吸うことも好んでおり、痰などがあるとインヘイルの空気の流れを邪魔して、喉がざらつくような状態になることがあると話している。

ただし、これはOliver自身の経験と発声方法についての説明であり、医学的な安全基準を示しているものではない。

インヘイルを含むエクストリーム・ボーカルは身体を楽器として使うため、痛みや強い違和感が出た状態で無理に続けるべきではないだろう。

 

横隔膜が震えるほど頑張るより、まず「楽に出せる状態」を探す

練習を続けると、挑戦者は次第に高いスクリーチのような音を安定して出せるようになっていく。一方で、横隔膜が震えるほど身体を使っている場面もある。

Oliverは、まだ新しい発声を覚えているため身体に緊張が残っていると分析する。

同じ動作を繰り返し、構造を理解していけば、徐々に余計な力が抜けて安定したピッチを維持できるようになるという。ある音域へ入ることができれば、その後は舌を動かして音色を変化させる。

最終的にはギターで音を出すときのように、毎回「正しい場所に入れるだろうか」と考えなくても、身体がその感覚を覚えることを目指す。

 

Oliverが何度も繰り返した最大のポイントは「リラックス」

動画全体を通して、最も繰り返されている考えは技術名ではない。

「リラックスすること」だ。

Oliverは、緊張や不安がボーカルへ直接影響すると話している。身体そのものが楽器である以上、精神的な状態から完全に切り離すことは難しい。自宅では完璧にできることでも、ステージで緊張すれば同じように再現できないこともある。

そのため、自宅で練習するときから可能な限りリラックスした状態を作り、その感覚を身体に覚えさせることが重要になる。

 

ライブ中は「歌詞を覚える」のではなく、頭の中で映像にする

動画後半では発声技術から、ライブでのメンタルコントロールへ話が広がる。

Oliverが自身の歌詞を覚える際に使っている方法も興味深い。単語を順番に暗記するのではなく、歌詞から頭の中に風景や物語を作る。

本を読んでいるときに場面を想像するように、自分が歌っている内容を映画のような映像として頭の中で再生するという。そうすることで、「次の単語は何だ」「観客からどう見られている」と考える必要が少なくなり、歌詞の世界そのものへ集中できる。

結果的に緊張からも距離を置き、ボーカルをリラックスさせやすくなるという。

Oliverはこれを、俳優が台詞を単なる単語の羅列として覚えるのではなく、その場面で実際に起きている出来事として理解する方法に近いものとして説明している。歌詞を「記憶」ではなく、架空の経験として頭の中に作る。

Archspireほど情報量の多い高速ボーカルをライブで再現するうえでは、発声だけでなく、こうした記憶と集中の方法も重要になっているようだ。

 

Archspireの異常なボーカルは「力」だけで作られているわけではない

Archspireの音楽を初めて聴けば、Oliver Rae Aleronのボーカルはとにかく速く、激しく、身体へ大きな負荷をかけているように聞こえる。

しかし今回の解説から見えてくる考え方は、それとは少し違う。

強く吸い込まない。

喉を固めない。

必要以上の空気を使わない。

舌の位置によって音程を変える。

そして何よりリラックスする。

もちろん、数分の解説を見ただけでArchspireのボーカルを再現できるわけではない。Oliver自身も、練習によって身体が音の場所を覚えていく必要があると説明している。

エクスヘイルとインヘイル、サーキュラー・ブリージング、口腔内での細かな音色操作、そして高速な歌詞を処理するためのメンタル・イメージ。

一見すると力任せに聞こえるArchspireのボーカルは、実際には「どれだけ無駄な力を抜けるか」という考え方によって支えられていることが分かる映像となっている。

 

※本記事は動画内でOliver Rae Aleron本人が紹介した発声方法と経験を整理したものです。インヘイルを含むエクストリーム・ボーカルの安全性を医学的に保証するものではありません。発声時に痛みや強い違和感がある場合は無理に続けないよう注意してください。

 

参照元動画

「Archspire’s vocalist teaches me his insane inhale technique」

Crabcoreはなぜ衰退したのか? Attack Attack!から始まったMySpace時代の熱狂、その衰退と現在のリバイバル

2000年代後半のメタルコアを振り返るうえで、Crabcoreほど当時のインターネット・カルチャーと密接に結び付いた言葉は少ないかもしれない。極端に腰を落としてギターを弾くステージアクション、派手なシーンヘア、スキニージーンズ、エレクトロニック・サウンド、オートチューンを多用したクリーンボーカル、そして強烈なブレイクダウン。当初は一部のメタルコア・バンドを馬鹿にするためのジョークとして使われた言葉だったが、やがて一つの時代を象徴する存在になっていった。

YouTubeに公開された「What Killed CRABCORE?」では、Attack Attack!を起点としてCrabcoreが誕生し、MySpaceやYouTubeを通じて急速に拡大した過程、そしてなぜ2010年代半ばまでに勢いを失っていったのかを振り返っている。

動画が描くCrabcoreの歴史は、単純な「流行した音楽が飽きられて消えた」というものではない。シーンそのものの過飽和、ファンの成長、SNSの変化、バンド側がより成熟した音楽を求め始めたこと、そして次の世代のオルタナティヴ・ミュージックが台頭したことなど、複数の変化が同時に起きた結果として、その時代は終わっていった。しかし現在、そのサウンドや美学は再び新しい世代から注目され始めている。

 

Attack Attack!「Stick Stickly」から生まれたCrabcore

動画では、Crabcoreの誕生をAttack Attack!の「Stick Stickly」ミュージックビデオと結び付けている。ギタリストたちが極端に腰を落として演奏する姿が「カニのように見える」と揶揄され、それをきっかけにCrabcoreという呼び名が広がった。

興味深いのは、Attack Attack!自身がその呼び名に抵抗しなかったことだ。動画内で紹介される過去のインタビューでは、誰かがバンドを馬鹿にするためにWikipediaへ書き込んだ言葉だったのではないかと振り返りながら、「面白いからそのまま受け入れた」という姿勢を見せている。後にはCrabcoreを冠したTシャツまで制作しており、自分たちに向けられた嘲笑を逆にバンドのアイデンティティの一部へ変えていった。

しかし、Attack Attack!が物議を醸していたのはステージアクションだけではなかった。アルバム『Someday Came Suddenly』では、ハイトーンのスクリーム、パニックコード、チャグを主体としたブレイクダウンへ、派手なシンセサイザー、エレクトロニック・パート、オートチューンを強く使用したクリーンボーカルを組み合わせた。

当時の伝統的なメタルファンから見れば、あまりにも突飛な組み合わせだった。批評家から冗談のような作品として扱われることもあった一方、この音楽を必要としていたのは必ずしも既存のメタルファンではなかった。

動画では、当時エモやシーン・カルチャーからメタルコアへ足を踏み入れようとしていた新しい世代にとって、Attack Attack!が「入口となるバンド」だったと捉えている。暗くシリアスであることが当然とされていたヘヴィ・ミュージックに、鮮やかな色彩、ポップミュージック、エレクトロニクス、遊び心を持ち込んだことで、それまでのメタルコアとはまったく異なる聴衆を呼び込んだ。

 

MySpaceがCrabcoreを世界規模のムーブメントへ変えた

Crabcoreの拡大を語るうえで欠かせないのがMySpaceとYouTubeだった。

「Stick Stickly」の公式ミュージックビデオは当時としては珍しい規模で拡散し、世界各地のシーンキッズがAttack Attack!を知るきっかけとなった。メタルコミュニティから強烈に嫌われる一方、それと同じくらい熱烈に支持する若いファンも存在していた。

その後、似た感覚を持ったバンドが次々と人気を獲得する。動画ではAsking Alexandria、Confide、Of Mice & Men、I See Stars、A Skylit Driveなどが、この時代を構成した重要なバンドとして取り上げられている。

Asking AlexandriaはAttack Attack!が提示した要素を、より攻撃的で完成された形へ進化させた存在として紹介され、Of Mice & MenではAttack Attack!を離れたAustin Carlileが新たなスターとなった。I See Starsは当時のElectronicoreを語るうえで重要な存在であり、Attack Attack!自身も彼らからの影響について語っていたという。

やがて「Crabcore」は単なるカニのような動きだけを意味するものではなくなっていった。シーンヘア、スキニージーンズ、派手なファッション、エレクトロニクス、メタルコア、独特なステージアクションなどをまとめた一つのカルチャーへと変化していった。動画ではAttack Attack!がその「設計図」のような存在になり、新しく登場するバンドがそのフォーマットを取り入れていったと振り返っている。

その拡大を可能にしたのがMySpaceだった。動画ではMySpaceについて、単なるSNSではなく、巨大企業や既存メディアが握っていた音楽発見の力をリスナーへ開放した存在として捉えている。ユーザーはプロフィールからプロフィールへ移動しながら、新しいバンドを次々と発見することができた。

シーンが急拡大すると、当然レーベルも動き始める。CrabcoreやElectronicoreが人気を集めれば、各社は「次のAttack Attack!」を探すようになる。こうして、もともとはインターネット上のジョークから生まれた言葉が、音楽産業からも無視できないムーブメントへと変わっていった。

 

Asking AlexandriaとOf Mice & Menがもたらした「ロックスター」

Attack Attack!がCrabcoreの設計図を作った一方、動画では彼らのピーク時に一つ欠けていたものがあったとも指摘している。それが、シーン全体を象徴する「ロックスター」の存在だった。

そこで登場したのがAsking AlexandriaのDanny WorsnopとOf Mice & MenのAustin Carlileだった。

@before_beyond From metalcore chaos to soulful solo sounds 🎤 Danny Worsnop’s journey is pure transformation. From Asking Alexandria to his country-blues solo career, he’s proven he can do it all. Which Danny era is YOUR favorite? 👇 Don’t miss this 12-moment evolution! 🔥 👉 Follow for more artist evolutions and epic music journeys! #DannyWorsnop #AskingAlexandria #ShadesOfBlue #MusicEvolution #RockIcon ♬ The Final Episode (Let’s Change Channel) – Asking Alexandria
@before_beyond From stage screams to survival—Austin Carlile’s story of resilience and rebirth in 12 moments. #AustinCarlile #OfMiceAndMen #MetalcoreLegend #MusicEvolution #MetalMusic ♬ Second & Sebring – Of Mice & Men

彼らはルックス、ファッション、ボーカル、カリスマ性、そして強烈なステージパフォーマンスを持っており、単なるバンドのフロントマンを超えて、若いファンが憧れるアイコンになっていった。

こうしたスターの誕生によってCrabcore周辺の音楽はさらに大きな注目を集め、レーベルや企業もその商業的な可能性を認識するようになる。Asking Alexandriaがテレビ番組「Jimmy Kimmel Live!」に出演するなど、かつて一部のインターネット・カルチャーだった音楽がメインストリームへと到達する場面も生まれた。

ジョークとして始まったCrabcoreは、一時期メタルコアの中でも最も目立つスタイルの一つとなった。しかし、急激に拡大したムーブメントには、やがて避けられない問題が起こり始める。

 

なぜCrabcoreは衰退したのか――最大の問題は「過飽和」

動画がCrabcore衰退の大きな理由として挙げているのが、フォーマットの過飽和だった。

人気ジャンルが生まれると、似たバンドが増える。それ自体は珍しいことではない。流行に便乗して利益を得ようとする者もいれば、その音楽に可能性を感じ、自分なりの形へ発展させようとする者もいる。

しかし、チャグを主体としたブレイクダウン、エレクトロニックなシンセサイザー、ハイトーンのクリーンボーカル、大量のオートチューンといった組み合わせが何度も繰り返されるうちに、かつて予測不能に感じられたサウンドが次第に定型化していった。

音楽だけではない。派手なシーンファッションや蛍光色を使用したマーチャンダイズなども大量に登場し、本来は目立つためのデザインだったものが、全員同じ方向へ進んだことで逆に目立たなくなっていった。

最初は「こんな音楽を作っていいのか」と思わせるほど異質だったCrabcoreが、数年後には「またこのサウンドか」と思われるものへ変化してしまったというわけだ。

 

Crabcoreと一緒に、シーンキッズも大人になった

Crabcore側の変化と同時に、聴いていたファン自身も成長していった。

2000年代後半にシーン・カルチャーへ夢中になっていた10代の若者たちは、数年後には学校を卒業し、仕事を始め、自分が何者なのかをシーンの外でも探す年齢になっていた。一部はそのままヘヴィ・ミュージックを聴き続けたが、完全に別の音楽へ移っていった人もいる。

動画では、Crabcoreが単なる音楽ジャンルではなく、特定の世代の「人生の一時期」と強く結び付いていたことを指摘している。だからこそ、その世代が成長すれば、同じ形の音楽を永遠に求め続けるわけではなかった。

さらにインターネット自体も変化した。MySpaceは自分の好きな曲、好きなバンド、友人、写真、派手なグラフィックなどを使い、自分自身のページを自由に作ることのできる場所だった。しかしSNSがFacebookなどへ移行すると、プロフィールは次第に統一され、よりシンプルで使いやすいものになっていった。

動画では、このインターネットの変化とCrabcoreの衰退を重ねている。派手で、騒々しく、過剰で、個性的だったMySpace。そして同じように派手で、騒々しく、過剰だったCrabcore。インターネット全体が整理され、均一化されていくなかで、Crabcoreは人々が過去に置いていこうとしていた時代そのものを象徴するようになっていった。

 

バンド自身も「Crabcoreから卒業」しようとした

Crabcoreを聴いていたファンだけではなく、演奏していたミュージシャン自身も若かった。

成功した当時はリスナーと数歳しか違わないメンバーも珍しくなく、彼らも当然成長していった。そこで生まれたのが、「自分たちは本当にこの音楽を一生作りたいのか」という問題だった。

さらにCrabcore系バンドは長年、一部の批評家やメタルファンから冗談のように扱われてきた。その結果、多くのバンドが「自分たちは本物のミュージシャンだ」と証明したいと考えるようになったのではないか、と動画では分析している。

シンセサイザーを減らす。派手な色をなくす。コミカルな要素を消す。よりシリアスで「成熟した」メタルを目指す。

しかし、その過程で最初に人々を惹きつけていた個性まで失ってしまったバンドもいた。技術的には成熟していても、新鮮さや楽しさがなくなり、結果として無難な音楽になってしまう。

動画では、この時代のメタルコアが「成熟しようとすること」に集中しすぎた結果、かつての魅力だった混沌やキャラクターまで失ってしまったと指摘している。

同時に、Danny WorsnopやAustin Carlileのような強烈な個性を持った人物が象徴していた「ロックスター性」も薄れていった。プロダクションは整い、ミュージシャンはよりプロフェッショナルになった。しかしステージ以外では存在し得ないような強烈な人物像を持つスターが減っていったという見方だ。

 

2010年代半ば、バンドはそれぞれ別の道へ

2010年代半ばになると、Crabcoreの中心にいたバンドやミュージシャンはさまざまな方向へ進んでいく。

Confide、That’s Outrageous!、Close to Homeなど解散するバンドがいる一方、別のプロジェクトで新しい成功を手にした人物もいる。動画ではAttack Attack!周辺から生まれたOf Mice & Men、Bilmuri、Beartoothを、その代表例として挙げている。

また、ニューメタル、オルタナティヴ・メタル、ハードロックなど、より長い商業的実績を持つスタイルへ移行するバンドも増えた。動画では、Crabcoreというフォーマット自体がすでに成長の限界へ到達していたため、さらに大きな成功を目指したバンドがラジオ向けのサウンドへ進んだ可能性にも触れている。

その結果、かつて旧世代のロックとはまったく違う音楽として登場したバンドたちが、徐々に自分たちが置き換えようとしていた従来型のハードロックへ近づいていくという皮肉な状況も生まれた。

その中で、動画が成功例として取り上げているのがCaleb ShomoのBeartoothだ。

BeartoothではAttack Attack!時代のコミカルさや強いエレクトロニクスを減らした一方、ブレイクダウンなど自分自身にとって重要だった要素は残された。さらに生々しいプロダクション、個人的な感情、強いフックを加えることで、単純に過去を否定するのではなく、Attack Attack!で得た経験から必要な部分だけを次の音楽へ持ち込んだ。

動画では、これは流行から抜け出す一つの理想的な方法だったのではないかと評価している。

 

次の世代となったポップパンク・リバイバル

Crabcoreの勢いが落ち始めた頃、Warped Tourでも別の新しい流れが存在感を強めていた。

2013年から2014年頃には、The Story So Far、State Champs、Neck Deepなど、次世代のポップパンク・バンドが若いオルタナティヴ・ミュージック・ファンから大きな支持を集めるようになった。

動画では、Crabcoreがあまりにも過剰な音楽だったからこそ、その次に注目されたポップパンクが対照的だった点を興味深い変化として挙げている。複雑なエレクトロニクスや極端なブレイクダウンを重ねるのではなく、パワーコードとキャッチーなコーラスを中心としたシンプルな音楽が、新しい世代にとって新鮮な存在になった。

つまりCrabcoreには、ある日突然「死んだ瞬間」があったわけではない。

フォーマットが使い尽くされ、ファンが成長し、ミュージシャン自身も別の音楽を求め、新しいシーンが登場した。優れたアーティストは新しい方向へ進み、単純なコピーだったバンドは消えていく。その積み重ねによって、Crabcoreというムーブメントは徐々に姿を消していった。

 

MySpaceへのノスタルジーとCrabcore再評価

しかし、時間が経つと、それまで恥ずかしい過去だと思っていたものが再び魅力的に見えることがある。

現在、MySpace時代の美学そのものが再発見され始めている。ストレートアイロンで作った髪型、スネークバイト・ピアス、ネオンカラーの服、極端な角度から撮影した写真など、2000年代後半のシーン・カルチャーを知らない新しい世代までが、そのスタイルを取り入れている。

音楽でも同様の現象が起きている。特にMySpace Deathcoreではリバイバルの動きが強く、動画ではREV3RENT、Slamwich、Psycho-Frameなど、2007年前後のデスコアを思わせるサウンドを持った新世代のバンドを紹介している。

現代のメタルが高度に洗練され、技術的にも完璧なプロダクションへ向かってきた反動として、荒々しく、不完全で、MySpace時代からそのまま出てきたような音楽が逆に新鮮に響いているという。

Crabcoreでは同規模のリバイバルはまだ少ないものの、動画ではAshes At Lastを一例として紹介している。過去のElectronicore/Crabcore的な要素を再び取り入れる新しいバンドが存在し、実際に支持を伸ばしていることは、このサウンドに再び需要が生まれている証拠ではないかと捉えている。

 

Electric Callboyは「進化したCrabcore」なのか

一方、動画ではCrabcoreそのものが完全に消えたわけではなく、その基本的な発想は現代の音楽へ進化して残っているとも考えている。

その代表として名前が挙げられるのがElectric Callboyだ。

エレクトロニックなプロダクション、巨大なクリーンコーラス、ブレイクダウン、複数ジャンルの衝突、派手な衣装、ユーモア。そして何より「楽しさ」を失っていない。

クラシックなCrabcoreとの大きな違いは、その馬鹿馬鹿しさが完全に意図されたものとしてコントロールされている点だと動画では分析している。

初期Crabcoreでは、さまざまな要素が無秩序に詰め込まれたように感じられる楽曲も多かった。それに対してElectric Callboyは、自分たちがどのようなバンドなのかを理解したうえで、カオスを計算されたエンターテインメントとして成立させている。

動画では、これは「成熟=シリアスで退屈になること」と考えなければ、初期Crabcoreのバンドたちが進むことのできた未来の一つだったのではないかと見ている。

そして興味深いことに、復活したAttack Attack!も似た結論へたどり着いている。

現在の彼らは『Someday Came Suddenly』をそのまま再現するのではなく、現代的なメタルコア、EDM、ポップ、Electric Callboy以降のパーティー・メタル的な要素を取り入れている。同時に、かつては嘲笑の対象だったCrabcoreという言葉から逃げることをやめ、ユーモアやエレクトロニクスを再び自分たちのアイデンティティとして利用するようになった。

Electric Callboyや現在のAttack Attack!はCrabcoreの「進化した形」を提示し、Ashes At Lastのような新しいバンドはオリジナルに近いサウンドそのものの復活を試みている。

 

Crabcoreは「ただの流行」ではなかった

Crabcoreが再び2000年代後半と同じ規模でメタルコアを支配する可能性は高くないのかもしれない。それでも、長い間多くの人が距離を置こうとしていたCrabcoreを、新しい世代が積極的に探し始めているという変化は興味深い。

MySpace Deathcoreのリバイバルは当時のブルータリティを復活させ、ファッションのリバイバルは当時の美学を取り戻した。そしてCrabcoreの再評価は、メタルコアから失われていった「楽しさ」をもう一度取り戻そうとしているのかもしれない。

動画の最後では、若者から生まれた流行には次の若い世代が必要だという考えも語られている。かつてCrabcoreを作ったミュージシャンや聴いていたファンは年齢を重ねた。それ自体は自然なことであり、無理に昔の姿へ戻る必要もない。

重要なのは、次の世代が過去から影響を受けながら、自分たちなりの新しいものを作ることだ。

深く真剣な音楽と、馬鹿馬鹿しいほど楽しい音楽は同時に存在できる。ヘヴィ・ミュージックだからといって、常に自分自身を深刻に見せ続けなければならない理由はない。

もともと一つのジョークから生まれたCrabcore。しかし、それは最終的に世界各地の若者を巻き込み、メタルコアのサウンド、ファッション、ライブパフォーマンス、そしてインターネット上の音楽カルチャーそのものに影響を残した。

単なるギミックでも、一時的な流行だけでもない。

動画が最後に表現しているように、Crabcoreは一つの「時代」だったのだ。

 

参照元動画

「What Killed CRABCORE?」